野村不動産は11月26日、第一回「CULTURE FRONT」トークイベントを開催。「BLUE FRONT SHIBAURA」を設計する槇総合計画事務所代表・亀本ゲーリー氏、街にアート作品を展開するアーティスト・鈴木康広氏を招き、街づくりのアート&カルチャープロデューサーを務める小林裕幸氏とトークセッションを行った。その後は、会場からベイエリアの魅力を体感できる船上ツアーを実施した。
トークセッションで亀本氏は冒頭、「みなさん、この地の歴史をご存じの方いらっしゃいますか」と問いかけた。手を挙げたメディア関係者は一人もいなかった。
亀本氏は「そうですよね。実は2015年10月31日に初めて訪れた私自身もよく知らなかった。400年以上前の江戸時代は海になっており、世界最大の海運都市だった。旧芝離宮と浜離宮は大名屋敷だった。一帯は三業地となり、昭和の初めには貨物船が海側に整備され、倉庫などが建設された。戦後は東京湾を背にして発展し、1984年、東京芝浦電気は社名を東芝に変更し、本社ビル『東芝ビルディング』が完成した」などと当地の歴史について説明した。
そして、今回プロジェクトについては、建物は鈴木春信の「雪中相合傘」に見立て、駅と街を木漏れ日あふれる遊歩道にし、街全体を市民公園のようにし、運河を利用して水辺の広場にし、アーティストの鈴木さんなどともコラボし、東京の新しい玄関口にする」などと語った。
鈴木氏は、これまでの自らの作品「まばたきの葉」「りんごとけん玉」「空気の人」「ファスナーの船」などを紹介。「海と人をどうつなげるか。この都市が大自然とどうつながっているか、自らが感じられるような世界をつくっていきたい」などと語った。
小林氏は、今年6月、95歳で亡くなった槇文彦氏についても触れ、「先生はいつも凛としたたずまい。それが建築にも表現されていた。公共性も大事にされており、今回のプロジェクトでは、『再開発』ではない、新しい場所をつくる、インターラクションが生まれる世界の中心にしたいので手伝っていただきたいとの連絡を頂いた」などと話した。また、小林氏は「今回のイベントにとどまらず、今後、トークセッションやワークショップを継続して行っていきたい」と語った。
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この種のトークセッションは数えきれないほど取材しているが、とても面白かった。亀本氏が紹介した槇文彦の言葉である「建築は発明ではなく発見」をはじめ、鈴木氏が語った「都市に潜んでいる自然の魅力を見つけ、共生する新たなキュレーションにつなげていく」などわくわくするようなフレーズが各氏から飛び出した。
亀本氏は、かつてこの地は「三業地」だったと話したが、2020年に取材した都内に唯一現存する木造見番建造物(「見番(けんばん)」とは「置屋」「料亭」「待合」からなる「三業」を取りまとめ芸者の取次ぎや遊興費を精算する施設)のリファイニング建築物を取材しているので、なるほどと理解した。槇氏はまさかそれから「雪中相合傘」を連想したのではないと思うが…これは謎だ。槇氏の作品については、日本財団の17か所の「THE TOKYO TOILET」の「恵比寿東公園」の記事を添付する。これほど美しいトイレはない。小林氏が話した「凛としたたずまい」そのものだ。
亀本氏はまた、「都市の裏になっている(当地を)ひっくり返し、表にしたい」と、小林氏は「東京一、日本一、世界一の街にしたい」とそれぞれ語った。鈴木氏は具体的なアートについては触れなかったが、記者はツインタワーにプロジェクトマッピングによって「雪中相合傘」が映し出されると確信した。
-表と裏をひっくり返し世界一の街にする-これが実現したら、それこそ世の中がひっくり返る-だが、しかし、これは容易ではないと思う。前回の記事でも書いたし亀本氏も語ったように、これまで街は川や海と「分断」し、背を向けて開発が行われてきた。これをどう転換するのか。今後の「CULTURE FRONT」の展開に期待したい。何が飛び出すか。「HARUMI FLAG」のツインタワーも「東京の新しい玄関口」を目指すとしている。どちらに軍配が上がるのかも興味深い。
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