賑やかに人が行き交う表通りから一歩入ったT字型道路の奥に件の建物はあった。道路幅は4mギリギリか。周囲は戸建てあり、モルタル造りの店舗併用住宅あり、マンションあり…典型的な下町の街並みだ。用途地域は〝何でもあり〟の準工か、コンクリで覆えば敷地一杯に建てられる商業地域か、その両方か。
建物は木造モルタル2階建て。敷地は20坪あるかどうか。南向きだが、南側には空き家の戸建てを挟んで高い建物が建っており、日照は確保できそうもない。西側道路に背を向けた外壁はグレー。外壁と対照的な南側の入り口にある赤の玄関扉には人の出入りを拒絶する頑丈なチェーンが掛かっており、小さな全ての窓は閉まっている。人の気配は全くない。
敷地の南側には猫の額ほどの自転車置き場がある。値段は高くはなさそうな錆も出ている一部は倒れたままの自転車数台が隣家との境界線に並行ではなく斜めに置かれていた。斜めなのは出入りスペースを確保するたか。
隣家との境の砂利敷きの部分には、日陰に棲む花も咲かない隠花植物か、それとも劣悪環境をもろともせず悪の大輪を咲かせる顕花植物か、名も知らない雑草が車輪の隙間から勢いよく伸びていた。
しばらく様子をうかがったが、野良猫にでも誰何されるのも怖く立ち去った。
空振りは十分予想していた。しかし、ただでは起きないのが記者だ。駅から目的地までの数分の距離に、全国区の誰もが知っている店を含め4軒の賃貸物件を主に扱う不動産会社があることを確認していた。街からどんどん本屋、電気屋、八百屋などが消えていくのにわが不動産業界は元気だ。片っ端から聞くことを決めた。
1軒目。店舗内には若い女性が一人、指にはアート。客はいない。「すいません、そこに建っているセーフティネット住宅を見に来たのですが、話を伺える方はいらっしゃいませんか」
-アプローチがまずかった。女性のプライドを著しく傷つけたようだ。「わたしは受付もしますが、営業もします。セーフティネットは存じ上げておりません」言葉は慇懃だが、顔はすぐ立ち去れと語っていた。
2軒目はRBA野球大会にも参戦しているメジャー。同じように質問したが、「セーフティネット住宅? 分かりません」2球目も空振り。
そこで反省。三球三振は避けたい。記者は投手であり打者だ。投手としては単刀直入に聞きすぎた。ここは搦め手から攻めるべき。第一、アポもなしに、白髪交じりの老人斑とも死斑とも区別がつかないシミを顔中に浮かばせ、くたびれたスーツを着ている記者に関りを持とうとしないのは当然だ。
3軒目は、下手に徹した。打ちやすい球をなげた。「わたしのような高齢者とか貧乏人とか、肌の色が違う人の入居を拒否しないようにと国が定めたセーフティネット制度があります。まあ、居室内にトイレも浴室も炊事場がないシェアハウスと似たり寄ったりのものですが…」と切り出した。
店の青年はお客と勘違いしたのか、「シェアハウス? うちも取り扱っています」とファイルを見せてくれた。すぐメモした。「3.9万円、10㎡」「4万円、12㎡」。ともに電気、ガス、水道料金含む。
そして聞いた。「これって坪にするといくらですかね」と。「坪? 坪じゃわかんない。㎡か畳数じゃないと」「えっ、お宅はいくつ? わたしは69。坪に換算しないと不動産や住宅の価格を計れないもんですから」「26歳ですが、…えっと坪1万くらいですよ」「では、わたしがいま見てきた物件を検索してみてください。ホームページですぐ分かりますから」
営業マンは物件のホームページに掲載されている物件の写真などをチェックした。記者は一転、ここぞとばかり畳み込んだ。「ほら、坪3.5万円ですよね。これって、とんでもない価格じゃありませんか」「…でも、洗濯機などみんな新しいし…高すぎるとは言い切れない。値段を決めるのは大家さんですからね」
ダメだ。お礼を言って飛び出した。坪1万円と3.5万円の比較もできないのかと。腹が立った。
4軒目は、いかにも歴史を感じさせる一間もない間口の小さな店だった。机は1つ。記者よりは若いが高齢者の仲間入りをしていそうな男性が暇を持て余しているのか新聞を読んでいた。
「何? 入居拒否。セーフティネットなんか知らないよ。誰を断ろうとそれは大家が決めること。われわれ仲介の仕事は大家のために働くこと。35年間やっているんだから。仕事は信用だ。えっ、坪3.5万円のシェアハウス? そりゃべらぼうだ。かぼちゃ(へちまではなかった)と一緒だよ」
収穫十分。シェアハウスは立派な事業として浸透しており、セーフティネット住宅はまったく認知されていないことが分かった。記者はカボチャをよく食べる。
◇ ◆ ◇
冒頭の表は、東京都のセーフティネット住宅の全268戸の登録住戸のうち主なものを抽出したものだ。バスもトイレもないわずか7㎡(2.1坪、4.2畳)の部屋を1戸とみなすことの是非はともかく、268戸を棟に置き換えると二十数棟にとどまる。20例を示した表は都のセーフティネット住宅をほとんど網羅しているはずだ。
表から分かることは、居室内にトイレ、洗面、浴室、台所、洗濯室などがないものの家賃はおおむね4~6万円、居室面積は7~12㎡、坪(3.3㎡)単価は2~3万円だ。
居室面積が7㎡しかないものがどうして多いか。少し説明しよう。
省令では、登録住宅の要件を定めており、必須要件の耐震性のほか、面積については25㎡(共用部分に水回り設備を備えているものは18㎡)以上としている。これとは別に、共同居住型住宅(シェアハウス)では、①住宅全体では40㎡以上②居室面積は9㎡以上③共用部分に居間、食堂、台所、便所、洗面、浴室またはシャワー室などを設け、便所、洗面、浴室は居住人数概ね5人に1カ所以上を基準としている。
ただし、地方公共団体が供給促進計画を定めれば、耐震性の要件を除き緩和することができることになっており、都は今年3月、「多様なニーズを満たす」という理由から面積を省令の9㎡から7㎡に引き下げた。だから7㎡が多い。
ここで指摘したいのは、水回り設備が整っている住宅は相場並みの価格だが、シェアハウス型は全て賃貸住宅の相場を大きく上回り、中には〝法外〟な家賃もあるのではないかということだ。
具体的に事例を見てみよう。日暮里駅から徒歩5分で、家賃が7.5万円、面積は7㎡だから、坪単価は3.5万円。居室内に水回りがないから明らかにシェアハウス型だ。記者は法外な値段だと思う。あり得ない。全ての設備が整っている〝億ション〟の代名詞「広尾ガーデンヒルズ」だって坪単価は2万円くらいではないか。坪3.5万円は都心の一等地のビルの賃料単価だ。
登録住宅の規則には、「家賃が近傍同種の住宅の均衡を失しないこと」と定められている。住宅と呼べない(と記者は思う)シェアハウスを賃貸住宅と同等に扱い、その基準で家賃が適正かどうかを測るモノサシが果たして適当か。
そこで、家賃が適正かどうかを判断する東京都民間住宅課に問い合わせた。担当者は「当該物件の現地調査は行っていないが、ネットで検索した近傍同種の住宅(シェアハウス)と比較して適正と判断した。審査は国交省の基準に沿って適正に行っている」と語った。こうも付け加えた。「問題があるなら指摘してほしい」と。現場を見ないで審査するのは問題ではないのか。
◇ ◆ ◇
読者の皆さん、品が悪い記者を許していただきたい。〝味噌くそ一緒〟とはこのことを言うのではないか。現場を見ないで、ネットで検索して出てきた物件の質を調べるのでもなく、家賃の額だけで判断して「適正」とする横着が役所では通用する-これは許せない。
生活困窮者や高齢者、子育て世帯などの入居を拒まず、居住安定を図るセーフティネット住宅制度は、このままでは目的とは真逆の最低の居住水準を固定化、下支えすることになるような気がしてならない。さらに言えば、セーフティネット住宅は改修費補助、家賃補助の対象となるだけに、シェアハウスがそのモデルとして定着すれば、もっとも救われるべき住宅確保要配慮者の賃貸住宅の質の向上が後回しになる危険性をはらんでいると思う。
◇ ◆ ◇
記者はシェアハウスそのものを否定するわけではない。一定のニーズは確かにあるはずだ。以下に示した事例のように〝単価では計れない〟価値がある物件も少なくないのだろう。
しかし、シェアハウスなる言葉がなかった20年前以上昔に見た走りともいえるそれは〝たこ部屋〟だと思った。
国交省も都の職員も、そしてシェアハウスをもてはやした学者先生方にもぜひ市場に流通しているシェアハウスを見学していただきたい。手放しでほめちぎっていいのか。
◇ ◆ ◇
住宅セーフティネット法の改正法が昨年10月25日に施行され、高齢者、低額所得者、子育て世帯などの住宅確保要配慮者の入居を拒まない賃貸住宅の登録情報を公開する「セーフティネット住宅情報提供システム」の運用が始まってから1年以上経過する。
同システムのホームページによると、現段階で総登録件数は302件、総登録戸数は 4,448戸。政府は2020年度末までに全国で17万5,000戸にする目標を掲げている。達成率は現段階で約2.5%だ。
浸透度がいま一つと判断したのか、国土交通省と厚生労働省は今年10月から全国10都市で説明会を開催中だ。国交省は登録申請書類や審査の簡素化、面積要件の緩和などをアピールし、厚労省は住宅と福祉の連携を強化するなど普及促進に乗り出している。
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