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2021/03/29(月) 10:37

櫂 糞尿譚 陰翳礼讃 水琴窟 シカの糞…虚々実々 記者畢生のトイレ考Ⅰ

投稿者:  牧田司

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記者が一番好きな槇文彦氏「恵比寿東公園」トイレ(2020年9月撮影)

 記者がもっとも好きな作家のひとり、宮尾登美子さんが亡くなってから7年が経過する(享年88歳)。1973年の第9回太宰治賞を受賞したデビュー作「櫂」には次のような衝撃的なシーンが描かれている。新潮文庫から引用する。

 喜和が息を詰めている目の前で、そのとき、一軒の門口から病み呆けているらしい老婆がよろよろしながら出て来たが、そこに立っている喜和に目をくれる気力もないのか、真直ぐ便壺の前に進んで行って、足を踏ん張り用便の構えになった。便壺の傍の竈には真黒な鋳物鍋が掛かっており、その下には枯れた小枝が白く枝なりに灰を残して通路にまで燃え退っている。

 老婆は、年寄りらしい力ない小水の音をたてると、大儀そうに竈の下の火を繕ってからまた家の中へ蹌踉ながら入っていった。

 喜和は、裏の姐さんには思わず目を伏せたけれど、今度はその場に釘付けになったまま、きっかり目を瞠いていた。

 蟇痣のいっぱい浮いた、痩せた老婆の足のあいだから滴のように断続して落ちる小水、滴はその下に溢れた便壷から四方に飛び散り、煮物の鍋にも細かいしぶきになって降りかかった。用の終わり、たらたらと老婆の腿から脛を伝わった小水は、便壷から溢れ出た溜りの汚水に流れ込み、狭い通路を大雨の後のように濡らしている。老婆が紙の代わりに尻を振って着物を下したとき、垂れた股の肉が縮緬の袖を振るように小刻みに震えたことや、老婆がそのままの手で小枝を竈の奥へ突っ込み、さらには小水の散りかかった鍋の木蓋を摘んで、その丸い縁で鍋の中の煮物を均したことや、通路を引摺って入る老婆の、べっとりと濡れた着物の裾が和布のように裂け千切れていたことなど、それらのひとつひとつが退引ならぬしたたかさでもって、喜和は自分の目の中に打ち込まれる思いがした。

 このように微に入り細を穿つ女性の放尿シーンを描いた小説を記者は知らない。「4K」と呼ばれた「臭い」「汚い」「暗い」「怖い」不浄な「便所」を見事に活写している。

 糞尿汲取業を描いた小説もある。昭和12年、芥川賞を受賞した火野葦平「糞尿譚」だ。笑えるようで笑えない悲喜劇小説だ。

 主人公・彦太郎は30歳で糞尿汲取業を始めるが、やることなすことことごとく裏目に出て、政治家などの利権争いに翻弄される。ラストシーンは彦太郎の絶望的な悲しみが糞尿と共にぶちまけられる。青空文庫から引用する。

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 リヤカアの横にさしてあった長い糞尿柄杓を抜くと、彦太郎は唖然として見ている男達の中に、貴様たち、貴様たち、と連呼しながら、それを振りまわして躍りこんだ…貴様たち、貴様たち、と彦太郎はなおも連呼し、狂気のごとく、柄杓を壺につけては糞尿を撒き散らした。半纏男達はばらばらとわれ先に逃げ出した。柄杓から飛び出す糞尿は敵を追い払うとともに、彦太郎の頭上からも雨のごとく散乱した。自分の身体を塗りながら、ものともせず、彦太郎は次第に湧き上って来る勝利の気魄に打たれ、憑かれたるもののごとく、糞尿に濡れた唇を動かして絶叫し出した。貴様たち、貴様たち、負けはしないぞ、もう負けはしないぞ、誰でも彼でも恐ろしいことはないぞ、俺は今までどうしてあんなに弱虫で卑屈だったのか、誰でも来い、誰でも来い、彦太郎は初めて知った自分の力に対する信頼のため、次第に胸のふくれ上って来るのを感じた。誰でも来い、もう負けはしないぞ、寄ってたかって俺を馬鹿扱いにした奴ども、もう俺は弱虫ではないぞ、馬鹿ではないぞ、ああ、俺は馬鹿であるものか、…憤怒の形相ものすごく、彦太郎がさんさんと降り来る糞尿の中にすっくと立ちはだかり、昴然と絶叫するさまは、ここに彦太郎は恰も一匹の黄金の鬼と化したごとくであった。折から、佐原山の松林の蔭に没しはじめた夕陽が、赤い光をま横からさしかけ、つっ立っている彦太郎の姿は、燦然と光り輝いた。

 のっけから尾籠な話で申し訳ないが、紹介した「櫂」も「糞尿譚」も虚構の世界ではあるが、まったくの架空の話ではない。小生が小さいころは日常の世界だった。

 「櫂」と同じようなシーンを目撃している。いわゆる女性の〝立ちション〟だ。5~6歳のころだったか。山の端から太陽が昇りかける朝まだき、田んぼの畔に腰を屈めたばあさんが何のためらいもなく着物の裾をからげ、用を足すと、小水は湯気を立てながらキラキラと黄金色に輝き、小さな弧を描いて田んぼに注ぎ込まれた。衝撃を受けたが、男は平気で立ちションしたから、それもありかと。

 若い読者の方はご存じないだろうから、糞尿の肥料化についても触れてみたい。

 江戸時代には「馬糞掻き」という職業があったように、牛馬の糞は肥料として人糞以上に重宝されていた。小生の実家でも牛を飼っており、牛舎から牛糞を集める作業を手伝ったことがある。人糞のような嫌な臭いはしなかった。それどころか、胸いっぱい吸い込みたくなるような芳醇な香りを放った。草や藁ばかり食べているからだろう。糞は敷き藁と混ざり合うことで発酵された。

 発酵といえば、モンゴルの一般の家庭で作っている馬乳酒をもらったことがある。これが実においしい。牛乳や牛乳石鹸とも違う爽やかな香りがする。記者は〝処女の酒〟と名付けた。

 匂いといえば、メジロもツバメも糞はあまり匂わないし、兵庫県相生市の小学生兄弟のカニ研究家によると、カニの糞は全然匂わないそうだ。記者はサザエの糞(内臓の部分)も馬糞ウニも大好きだ。

 牛の話に戻す。ふすまや飼い葉など安上がりの餌(食事)に文句ひとつ言わず、田んぼを耕したわが家の牛は、年頃になると馬喰がやってきて売られていく。牛は屠殺場の匂いをかぎ取るのか、カッと目を見開き、四肢を踏ん張り、梃でも動かないぞと言わんばかりの姿勢を取るのだが、隣で肩を震わせる親父の意図を察したのか観念したのか、やがて尻尾を垂れてトラックに乗り込む姿を丑年の小生は何度も見ている。

 人糞もまた貴重な田畑の肥料となった。便壷・甕から糞尿を桶に入れ、天秤棒を使って田畑に運ぶのはほとんど女性の仕事だった。

 田の畔のあちこちにはその糞尿を一時保管する肥溜めが設けられていた。雑草が生い茂るとその所在は分からなくなり、小生は何度も肥溜めにはまったことがある。2018年に白水社から出版されたリチャード・フラナガン「奥のほそ道」(渡辺佐智江訳)には、虐待を受けたオーストラリア人捕虜が日本軍の強制労働収容所の「ベンジョ」で溺死する場面が描かれている。

 何て人間は罪深い動物か。

◇       ◆     ◇

 トイレを美しく描いた作品もある。今でも建築関係者のバイブルになっている谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」がその一つだろう。

 谷崎は「日本の厠は実に精神が安まるやうに出来てゐる。それらは必ず母屋から離れて、青葉の匂や苔の匂のしてくるやうな植ゑ込みの陰に設けてあり、廊下を伝はつて行くのであるが、そのうすぐらい光線の中にうづくまつて、ほんのり明るい障子の反射を受けながら瞑想に耽り、又は窓外の庭のけしきを眺める気持ちは、何とも云へない」と記している。

 谷崎が書いた昭和8年当時の「厠」(トイレは和製英語)は、高級旅館や豪邸にしかなかったはずで、庶民のトイレはみんな汲み取り式の4Kそのものだったに違いない。

 とはいえ、谷崎が言うように「精神が安まるやう」な仕掛けは庶民の便所でも施されていた。

 記者の田舎では、母屋と別棟の「便所」は「手水」(ちょうず)と呼ばれ、外には手水鉢が設けられることもあった。その上部に吊り下げられたタンクのひもを引っ張ると水が流れ落ち、手が洗える仕掛けだ。使用済みの水は、手水鉢から小石を敷き詰めた地面に流れ込み、ほどなくして得も言われぬ音を立てた。水琴窟だ。不浄な便所を浄化する装置だったのだろうか。

 美しいといえば、皆さんは吉永小百合さんのレコード「奈良の春日野」をご存じか。〝鹿のフンフンフンフーン 黒豆やフンフンフーン 黒豆やフンフンフンフン〟というもので、確かB面だった。フンフンを連発しても美しく聞こえるのは吉永さんしかいない。

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