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2021/11/15(月) 17:49

美人を美人と褒めてどこが悪いのか/居直り記者が男女差別を考える

投稿者:  牧田司

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喜多川歌麿「寛政三美人」

 全国市長会長を務める福島県相馬市の立谷秀清市長(70)が連合初の女性会長に就任した芳野友子会長を「美人会長」と発言したことに対し、容姿に着目したセクハラ発言であると批判が相次ぎ、立谷市長は「軽率だった。配慮が足りなかった」と謝罪した問題に、記者はショックを受けた。

 「美人」「きれい」「美しい」を連発してきたからだし、もうセクハラの権化だ。RBA野球記事では「それでも男か」と罵り、「メタボ」「相撲取り」「片玉」「美女と野獣」などと貶めてきたし、醜悪な顔をアップで写真にしてきた。さらに封殺、三重殺、刺殺、憤死、死球、挟殺、盗塁…殺し合いや戦争を唆してきた。犯罪者そのものだ。訴えられたら、体がいくつあっても足りない。これからは、おててつないで仲良しこよしの記事を書かないとだめなのか。

◇      ◆     ◇

 立谷氏は、「福島市での連合福島定期大会での挨拶で、少子化対策について『労働分配率を上げて、男性の所得、女性に悪いけど、男性の所得を上げていかないと人口問題は解消しない』と主張」(10月30日付朝日新聞)した後で「今度の美人会長も楽しみにしている。色々と協議しながら、日本にとっての問題は何なのかを連合と共通の立場で考えていきたい」(同)と、男性の所得や人口問題に絡めて「美人会長」と語ったのが批判を浴びたようだ。

 確かに文脈からして不適切だとは思う。しかし、深読みかもしれないが、立谷氏は芳野会長の外見ではなく、「共産党との閣外協力はありえない」と野党共闘に牽制球を投げた芳野会長の政治姿勢を「楽しみにしている」と語ったのではないか。自らの6期目を狙う政治的な発言だと思う。

 それはともかく、「美人会長」の言葉はどこがセクハラなのか。謝ったのでなかったことにしたのは是なのか。

◇       ◆     ◇

 記者は、マンションなどを見学するとき、基本性能や設備仕様を重視するが、意匠デザインの美しさも必ずチェックする。〝見た目〟はとても重要だ。〝美しいか美しくないか〟-この審美眼こそ記者の生命線だと思う。それを養うのはただひたすらに観る以外に方法はないと断言できる。

 ただ、人間を観るときは、〝見た目〟よりは何を話すか、何を行うか、心の奥底まで観るよう心がけている。心の美しさはしぐさや言動ににじみ出るからだ。女性を「美人」「きれい」「かわいい」などと表現するときも、ただ外見だけで評価しているわけではない。ただの見てくれの美しい人は間違いなく化けの皮がはがれる。

 「美人」に関して、熱烈な阪神ファンで知られる風俗史、風俗評論が専門の、記者か好きな井上章一氏は「日本の女が好きである。」(PHP研究所)という身もふたもない著書で次のように述べている。少し長いが引用する。

 「『美人』かそうでないかは、顔以外の部分できまる。性格や知性こそが、その判断材料になる。もし、人々が本気でそう思っていれば、顔の悪い『美人』もイメージできるはずだ。しかし、そういう人のことは、とうてい脳裏に思い描けない。

 やはり、『美人』か否かは、顔で決まると、みんなそう思っているせいだろう。たてまえはともかく、たいていの人、日本語を話すほどの人は、そう思っているはずである。すくなくとも、心の奥底では。」

 井上氏はまた「あとがき」で、現在の男社会の職場は以前とくらべ男をまどわすチャラチャラした女性を排除する力が弱まり、受容的になってきたとし、「私は、こういうところにも女権の成長=フェミニズムのいきおいを、かいま見る。

 今のファッション雑誌には、セクシーな女の衣装が、数多く紹介されている。フェミニズムの先頭的な論客は、そこに男の権力を読みとろう、男たちがメディアを支配し、女を性的な奴隷にしむけている。女を性的な奉仕者、それこそメイドにしたがっているのだ、と。

 しかし、わたしはそこから逆の趨勢が、見えてくる。女たちは、目に見えぬチャドルから、ときはなたれてきた。男をそそってあやつる、いわばエロ力の発揮を、社会へみとめさるようになっている。それをおしとどめようとするおっさんの壁は、つきくずされてきた。つまりは、女権がのし上がってきたのである。」と述べている。

 記者は、この前半の部分については賛成しかねるのだが、後半の部分はその通りだと考えている。女性議員や会社役員が増えないのは「女性差別」が最大の理由だとは思うが、男をおだてあげ担ぎ上げ、利用したほうが賢明と考える賢い女性が増えてきたような気がしてならない。

 選択制夫婦別姓は今回の衆院選で争点になるかと思ったが、そうはならなかった。姓だけ差別がなくなっても世の中は変わらないと考える強かな女性の計算が働いたのではないか。それとも〝男による男のための男の選挙〟に絶望して選挙そのものを拒否したか、あるいは男を見限った判断かもしれない。

 前半の部分は賛成しかねると書いたのは、小生は女性の外見だけで美人か非美人であるかを判断していないからだ。マンションに十全がないように、男も女も同じだ。たかが外見だけで判断したら、誰もが生きていけない。しかし、だからといって「美人」を封印したら世の中は真っ暗闇になる。

 これは記者の〝特技〟だと思っているのだが、たとえ外見が美しくなくても、その人の美しいところだけを見て褒めるようにしている。例えば「心が美しい」「声が美しい」のほか髪、目、口…もうこれだけで人生がばら色に輝いて見えてくる。女は全て美しいと。

 外見だけで美人だとか非美人だとかで判断したら、小説、歌謡、絵画など芸術は成り立たない。芸術は人間の醜さ弱さ、生きる世界の理不尽さ、差別社会、わいせつ性を暴き出すから人々に感動を与える。

 そういえば、埼玉県戸田市には全然美しくないのに「美女木(びじょぎ)」という地名がある。「美魔女」という言葉もあるではないか。将棋には「女流名人戦」があるし、わが国のメディアは北朝鮮の「美女軍団」を大々的に報じたではないか。ミス・ユニバースを筆頭とするミス・コンは知性や・人間性も重視されるというが、水着審査(ミス日本は今年から廃止したそうだが)もあるではないか。

 これらに目をつぶり、ちょっと「美人」だとか「美しい」と書いただけでセクハラだと批判される。直截的に褒めるのが差別というなら、比喩的に褒めるのは許されるのか。立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花はいいのだろうか。散り際のサクラとか、日陰のドクダミのようなたたずまい、イヌノフグリのような可憐さ、女郎花のような妖しさ…と書けばいのだろうか。この前、「若い女性担当者」と記事に書こうとしたら、広報担当者からは「『若い』と『女性』をくっつけないで頂きたい。『若い担当者』か『女性担当者』にしていただきたい」とやんわりNOといわれた。

 そんなことより、「女性蔑視」そのものの言葉のほうが問題ではないのか。鹿児島大学教授・小寺初世子氏は「女性差別をなくすために」(明石書店)で、「『女偏漢字』が、われわれの意識内の女性にたいする偏見、女性蔑視を植えつける原因のひとつになっていないか」とし、「なくしたい女偏漢字」として「汝」「奴」「奸」「妄」「妨」「妖」「嫉」「妬」「姦」「媚」「嫌」「委」「嬲」などを挙げている。

 なるほど。その通りだろう。漢字は中国由来の儒教思想に基づいた男尊女卑の言葉であるならば当然だ。

 女偏の漢字で言えば、記者は「努」は「女」の「又」(股)の「力」は凄いと覚えた。大人になってそれは事実であることを知った。ところが、「努」は形声文字で、「女」は「奴婢」(奴隷)を意味し、「又」は股ではなく手の形で、「力」は農奴が農耕に勤労する意味と、白川静「字統」(平凡社)にはある。同著の象形文字「美」は、羊の角から後脚までの全形を写した形で、成熟した羊の肥美を示すとある。

 つまり、昔の儒教思想に凝り固まった男は、「女」とは奴隷であって、「美」は雄か雌かは不明だが羊だと認識していたようだ。

 そのあからさまな儒教思想による性差別を改めようとする意図があったのかなかったのか、わが国は万葉仮名-平仮名を開発した。

 考えてみれば、そもそもわが国にはそのような男尊女卑の思想はなかったのではないか。神道における「神」とは自然そのものだ。だから八百万の神と崇めた。わが伊勢神宮が奉る天照大神は女帝・女神だ。平塚らいてうが「元始、女性は太陽であった」(「青鞜」発刊の辞)と書いた通りだと思う。

 話は横道にそれる。記者は、誰が誰と結婚しようがまったく興味はないのだが、眞子内親王殿下と小室圭氏の婚約内定会見で、眞子内親王殿下が「最初に惹かれたのは、太陽のような明るい笑顔であったと思います」と述べられ、小室圭氏は「宮様は私のことを月のように静かに見守ってくださる存在でございます」と返したのに、えっと思った。若い二人がこんな時代遅れの言葉を吐いたのに絶句した。

 世間はどうであれ、結婚する二人にとって一方が太陽で他方が月というのはありえないはずだ。ともに太陽であり月だ。私事で恐縮だが、小生は結婚するときの案内状に「彼女をいつまでも太陽のように輝くように」と書いた。これが相手の親戚から「ふざけている」との顰蹙を買い、改めて普通の案内状を送った。結婚式の案内状を2種類作ったのはそうないはずだ。

 もう一つ私事。記者の母系は美形が多い。母親はろくに文字も書けない「土偶」そのものであったが、風呂上がりの全身からゆらゆらと湯気が立ち上るすっぽんぽんの姿は美しいと思った。母親の妹は真逆で、病弱だったため農耕作業はあまり行わなかったという。色が白く〝ミス〇〇〟と呼ばれたそうで、百人一首をそらんじていえた。記者のいとこは「ミス〇〇」に選ばれた。

 しかし、そんな外見だけで男女を差別する思想・風土は田舎にはなかった。貧しい農家は老若男女、牛も含めてみんな貴重な労働力だった。差別する余裕などなかった。とはいえ、記者は、家父長的社会・経済体制の中で生まれ育った。「アンコンシャス・バイアス(無意識の偏見)」で女性を見ていることは否定できない。しかし、その一方で、自らの劣等性もしっかり自覚している。この劣等意識が差別を買い使用するヒントだとも考えている。

◇       ◆     ◇

 ここまで取り留めなく書いてきた。堂々巡りでさっぱり先が見通せない。このあたりでやめる。結論などない。

 一つだけ言えるのは、「差別」の最たるものは、女性(あるいは男性)の家事や育児、介護、夫の世話(妻の世話もあるからfifty-fiftyか)などの無償労働だと思う。この労働の価値を可視化すれば世の中はひっくり返る。女偏は男偏(一つもない)に変換される。

 興味深い例を示す。厚労省「厚生労働白書」の「専業主婦世帯」とは「夫が非農林業雇用者で妻が非就業者(非労働力人口及び完全失業者)」とある。これを逆読みすれば、農林業に従事する世帯には「専業主婦(夫)」はおらず、「兼業農家」という概念はあるのに「兼業主婦(夫)」という言葉はない。

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