
三菱地所レジデンス明嵐二朗社長(三菱地所レジデンス本社で)
三菱地所レジデンスは9月16日、恒例の社長懇談会を開催。今年4月1日付で三菱地所グループ執行役員兼三菱地所レジデンス代表取締役社長執行役員に就任した明嵐二朗氏(57)が約30分間(質疑応答を含めると1時間近く)、自己紹介とこれまでの経歴、三菱地所レジが目指す将来像について〝熱く〟語った。その後、メディアとの懇親会を行った。
最初に断っておく。記者はいつものような必死でメモを取った。明嵐氏は、1分間に約400字、30分間にして400×30=1200字、つまり短編小説30枚に該当するくらい、一気呵成、立て板に水のごとく話した。
メモを読み返し、記事にまとめるには数時間かかる。しかし、いま記事を書いているこの日(9月17日)の夕方、これまた恒例の三井不動産の記者懇親会がある。ゆっくり書く時間の余裕がない。
なので、この記事は明嵐氏が話したことを正確に紹介するよりも、記者が受けた印象を重点的に急いで書いたものであることを了解していただきたい。明嵐氏の話した録音テープを同社広報に送ってもらうよう依頼しているので、届き次第再編集して記事を更新する予定だ⇒同社から回答があり、「テープは渡せない」とのことだったのでメモをチェックして、書き直すかもしれない。
さて、明嵐氏は何を語ったか。まず、出身の金沢から大学受験のために東京駅北口に降り立った18歳のとき、光り輝く東京の夜景に衝撃を受け、〝俺もこんな美しい街をつりたい〟と同社に入社した動機を語った。
最初に配属されたのは「スタイルハウス」事業だった。当時の同社の年間売上高数千億円のコンマ数%にしかならない手づくりの事業を許す三菱地所は大したもんだと記事にした覚えがある。明嵐氏は自分自身からこの事業を立ち上げることを提案したと明かし、用地仕入れから企画-販売まで一気通貫で完結するこの事業がその後のキャリアの〝原点〟となったと語った。当時の記事を添付する。読んでいただきたい。
しかし、この事業は約10年で打ち切りとなった。会社は〝こんな儲けが少ない事業は続けられない〟と判断したようだ。
次に明嵐氏が担当したのは、これも記事にしているのでぜひ読んでいただきたい「吉祥寺OIKOS(オイコス)」だ。多くは紹介できないが、マンションの概念を変えた、環境に配慮した歴史的な物件だった。明嵐氏は工事費がかさみ、そんなに利益は出なかった旨の話をした。
3つ目は、これまたほとんど利益につながらないような、神田界隈の古いビルのリノベ再生事業だった。これも記事にしているので読んでいただきたい。
そして、4つ目のキャリアとして語ったのは、シンガポールを拠点とするオーストラリアを含めた6か国の東南アジアの海外事業のトップとして派遣されたことだ。突然の異動で、語学の準備ができておらず、最初の頃は〝ハグ〟することしかできなかったそうだが、それが現地では〝ユニークな男〟(個性的で魅力ある男という意味)として評価されたのだそうだ。〝リスクを恐れずチャレンジする〟ことを学んだそうだ。「日本はここが弱い」と強調した。オーストラリアのマンション開発に関する記者発表会で、明嵐氏が隈研吾氏と並んで記念写真に納まったのをよく覚えている。
海外勤務は5年間。本社に戻ったのは2021年、総務部長に就任した。「一番行きたくなかった部署」と明嵐氏は語ったが、その後の3年間の同部署の経験が今日のキャリアにつながったと語った。(記者は、どこの企業も現場経験は必須だが、総務・企画を経験しないと幹部にはなれないとずっと思ってきた)
三菱地所レジが目指す将来像として、①2030年代前半の国内簿価利益1,000億円、国内営業利益700億円の実現②分譲マンションとその他のアセットの利益構成比を1:1へ③「当社らしい」「当社にしかできない」住まいづくりの追求④ストック活用領域の拡大⑤サスティナビリティ経営の実現⑥社員への還元拡充と人的資本価値の向上-の6つを挙げた。明嵐氏は「利益を確保することが条件にはなるが、社員の給与を業界ナンバーワンへ、全企業ナンバーワンになるようにしたい。社員が買えるマンションをつくりたい」と語った(「社員が買えるマンション」とはいくらなのか聞くべきだったか)。

◇ ◆ ◇
明嵐氏の話を聞きながら、記者はずっと〝こんなに熱い〟社長は他にいるかをずっと考えていた。達した結論は〝ない〟だった。同業の記者の方は三井不動産レジデンシャル嘉村徹社長を挙げたが、小生は懇親会や野球グラウンドで歓談はしているが、嘉村氏の公式の場でのあいさつは聞いたことがない。
似ている人を挙げれば、元大京社長の長谷川正治氏、元積水ハウス社長の和田勇氏が真っ先に浮かび、就任会見でファンになったのは三井不動産の岩沙弘道氏で、岩沙氏と同学年で、三井不動産入社が内定していたのに、親から「不動産に入るとは何ごとだ。勘当だ」と怒られ、三和銀行に入行し、その後大京の役員になった故・黒住昌昭氏だ。岩沙氏には経団連の会長になってほしかった(財閥系から会長を出さないという不文律があるようだ)。黒住氏は昨年死去された。
〝元気〟という表現は適しないが、〝衝撃〟を受けた最右翼の社長就任会見は三井不動産社長の植田俊氏だ。記事見出しにもしたが、植田氏は「産業デベロッパー目指し、日々妄想」と語った。アクセスが殺到した。この「日々妄想」は独り歩きし、その後、多くのメディアが取り上げた。「日々妄想」には続編がある。植田氏が社長に就任してから1年後の記者懇親会で、記者は「いまも日々妄想ですか」と聞いたら、植田氏は「その必要がなくなった。みんなが日々妄想してくれるから」と答えた。いまでも「妄想―構想-実現」は同社のスローガンになっている。

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もうひとつ、明嵐氏がどうしてこんなに元気なのかを考え、たどり着いたのはやや我田引水だが〝野球〟だった。読者の皆さんはご存じないだろうが、明嵐氏は20数年前、三菱地所野球部の黄金期の主力メンバの一人だ。RBA野球大会でも総合優勝した。
野球経験者がビジネスでも成功を収めているのはいうまでもないことだが、何より凄いのは力があること、そして礼儀正しく協調性がありフォア・ザ・チームに徹していること、さらに頭がいいこと、バカは絶対うまくなれない-小生はすべて備わっていなかったので中学のときのスコアラー兼敵情視察マネージャーにしかなれなかった。
この日の懇談会では、明嵐氏の体形をチェックした。もう野球は無理だと判断した。上半身は〝成長〟を続けているが、下半身はやせ細っていた。
懇談会が終わってから明嵐氏に「この前の三井不動産レジデンシャルとの試合では、三菱地所は7-8で敗れました。三井レジの嘉村社長が応援に駆けつけていました」と報告した。残念ながら、明嵐氏の反応は読み取れなかった。嘉村氏はこの記事を読むはずで、同受け取るか。記者は、〝仲良しこよし〟ではなく、〝不倶戴天の敵〟として血みどろの覇権争いを期待したいのだが…。

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