新垣氏
人材派遣会社オールビズチャンネルの代表取締役社長で一般社団法人関東沖縄経営者協会の9代目会長を務めている新垣進氏(70)は先月、MPO法人OSI研究会(代表:松岡嘉幸氏)の勉強会で「沖縄への熱い思い」をテーマにした講演を行った。新垣氏は沖縄県東風平町(八重瀬町)で生まれ、生後3か月で川崎市に移住したが、ウチナーンチュ(沖縄県出身者)の意識が強く、約160社が加入する同協会の活動に力を注いでいる。OSIは明治大学名誉教授・百瀬恵夫氏らが中心になり2003年6月に設立されたNPO法人。沖縄の自然保護、環境保全及び自然と人間との調和が全てに優先することを基本理念に掲げ、様々な活動を行っている。
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記者は、別の取材と重なり勉強会には出席できなかったのだが、内容は2021年1月から6月まで13回にわたって琉球新報の連載コラム「南風」に掲載された新垣氏によるものと変わらないはずなので、記者の感想などを交えながら、講演内容を紹介する。
コラムの掲載が始まったのは、コロナ禍が真っ最中にあった2021年1月。それから最終回の6月まで全13回すべて「沖縄万歳!」で締めくくられている。沖縄礼賛コラムでもある。コラムは大きな反響を呼び、手紙がたくさん寄せられたという。
だが、しかし、ウチナーンチュはもちろん「ナイチャー」(沖縄県外出身者)は、これを単なる底抜けの楽観主義と受け取るわけにはいかない。
戦争では本土の生贄になり、終戦後も本土復帰が実現した1972年まで27年にわたって米国の支配下に置かれ、今もなお経済を基地、公共事業、観光に依存していることから3Kと揶揄されている現状を考えると、〝沖縄万歳〟にはもっと深い意味が込められている。
いったいこの深い意味が込められている楽観主義はどこから来るのか。それは新垣氏の叔父の故・古波津英興氏(1907-1999年)の影響が大きい。2001年に発刊された「民権の火よ永遠に: 古波津英興追悼集」(沖縄民権の会)を新垣氏から借りて読んだのだが、多くの方が古波津氏の楽観的なものの考え方に触れている。古波津氏もまた同郷の社会運動家・謝花昇(1865-1908年)の影響を強く受けている。
謝花-古波津-新垣を結びつけるのは東風平町(八重瀬町)出身ということだ。ここに通底しているのは、一言でいえば反骨精神ではないか。厳しい現実を直視し、それでもなんとか現状を打破しようとする前向きな考え方が根底にある。次のような記述がそうだ。
「かれこれ25年前の41歳の時にはどん底。半年間はため息ばかり、多分一生分のため息をついていたかな。輝いていた目も死んだ魚の目のようになっていったんだ」(5月13日付「南風」)「人間ね人生の途中では何があっても最後に笑えばいいんだよ」(同)
「このコロナ禍で沖縄は今大変だよね。こういう時は無理せず身をかがめ、今できることに集中し、元気に嵐が過ぎるのを待つんだ。沖縄には切り札の観光があるからね。観光の力は日本一、コロナが終息したら必ず一番に復活する県になるよ。国際通りは人で一杯になりどこのホテルも満室、飛行機も満席。もちろん離島も含めどこの観光地もにぎわうよ」(同)
コロナが終息したいま、沖縄は新垣氏が予想した通りになりつつある。別表は、令和7年の地価公示で、バブル期の1990年と比較可能な755市町村のうち、住宅地の変動率が100以上の市町村を示したものだ。わずか12道県49市町村しかない。トップは沖縄県の北中城村で、坪13.2万円から31.9万円と約2.4倍に上昇している。
この他、沖縄県は9位に糸満市、10位に与那原町、13位に宜野湾市、18位に沖縄市、19位に那覇市、41位に石垣市が入っており、49市町村の実に8市町村にのぼる。
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新垣氏の反骨精神が見事なまでに表現されているのは次の記述だ。
「私の中学卒業の文集に寄せた題名は『差別』。子供ながら真剣に考え、書いたその文章は力作だった。生涯、差別と向き合って生き抜いた叔父の古波津英興の影響が大きい。小学生の頃に東京で開かれた叔父の講演会に行き、差別をテーマにした話を聞いたときの経験が骨の髄までしみ込んでいた。
『差別』の題名は中学の先生には衝撃的で、大問題になった。2度にわたり職員会議で議論された。理科と社会科の一部の女性教師からは『新垣君の卒業文集を読んだよ。いろいろ考えさせられたし勉強になったわ』と褒められた。だが、そんな先生ばかりではなかった。国語の授業で50代後半の男性教師は、『新垣、立て! あの文章はなんだ。誰が差別しているんだ』とめちゃくちゃ怒られた。
そんなことがあって、私の文章は卒業文集には載せないことが職員会議で決まり、他のテーマに変えるよう指導された。頭に来ていた私は、卒業文集にはあの国語の先生の似顔絵を描いた。テーマは『こんな大人にはなりたくない』と。同級生は、私の度胸にびっくりしていた。
私自身は強かったから差別された記憶はないが、同じクラスの沖縄出身の女の子はいじめにあった。私は、うまくかばってあげることができなくて、その後悔の気持ちが強くなって卒業文集に書いたのだ。差別はいけないと仲間には分かってもらいたくて。
本土に移り住んだウチナーンチュじゃなかったら分からない経験だ。でも、あの悲惨な戦争から立ち直り、差別した人でさえファンにしてしまうウチナーンチュはすごい。さすが大交易時代を築いた琉球王国の末裔。だからコロナにも絶対負けないよ。卒業文集にあの教師の似顔絵を描いた中学3年生の自分に万歳!本土の人を差別からファンに変えた沖縄県民万歳!」(4月15日付)
新垣氏が中学3年のときだから、1969年だ。沖縄が日本国に変換された1972年(昭和47年)の3年前だ。新垣氏は2月18日付「南風」でも「小学4年の時、自己紹介で、沖縄で生まれたと言ったら先生に外国人呼ばわりされショックを受けたよ」とも書いている。「本土に移り住んだウチナーンチュじゃなかったら分からない経験」がずしりと響く。
実は、記者にも新垣氏と似た経験がある。「差別」ではなく、アメリカコンプレックスだ。昭和24年生まれの記者は、小さいころ、日本軍の中国や朝鮮に対する蛮行の話と同時に、ヒロシマ・ナガサキ、駐留米国軍人の悪逆非道の行為を大人から聞かされていた。
中学1年の最初の英語の時間だ。英語の先生が級長の私に向かっていきなり〝Stand Up〟と命令した。かっとなった私は無視して起立しなかった。先生は激怒した。英語が嫌いになったのはそのときからだ。
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新垣氏のコラムは〝なるほど〟と合点がいくものばかりだが、どうしてもわからないことが一つある。次の記述だ。
「私の趣味は沖縄。毎朝シークワーサーを飲み、沖縄の新聞を読み、お酒はオリオンビールと泡盛、居酒屋の大半は沖縄料理店…」(4月21日付)
「わかるかな~。沖縄に行くとき羽田空港で缶コーヒーのジョージア買うんだ。当たり前だけど120円の味なんだ。でも那覇空港に降り立って飲むジョージアは千円の味に跳ね上がるよ。さらに車を飛ばし、田舎の東風平に着いてジョージアを飲むと3千円のうまさに跳ね上がるんだ。嬉しくて気分が高揚しているからなあ。わからないだろうなあ、ずっと沖縄に住んでいるウチナーンチュには(笑い)」(同)
沖縄に住んでいるウチナーンチュでもわからないのだから、ナイチャーの記者がわかるはずはないのだが、先にStand Upのことを書いた。コカ・コーラの清涼感には抗えなかったが(いまは全く飲まない)、アメリカ産のハンバーガー、ケンタッキーなどは今でもほとんど食べない。駐留軍の横暴な振る舞いは骨の髄までしみ込んでいる…ジョージアは何だろう。
新垣氏は昨年、沖縄の子ども食堂を支援する「毎月千円子ども支援プロジェクト」を立ち上げた。「できることから、できる範囲で」の発想で、法人でも個人でも毎月一律千円を口座から引き落とすもの。新垣氏は「私は決して無理強いしない。点を線としていきたい。千人集まれば年間1000万円。多くの人が貧困問題を意識し、賛同してくれればと願っている」と話している。
3月26日に行われた講演会後のOSI懇親会
OSIには百瀬氏や元住友商事社員で現理事長の松岡氏、元東洋経済「会社四季報」編集長の篠原氏をはじめ、沖縄海洋墓標会の真言宗僧侶、離婚騒動はやりたくないそうだが民事も刑事も手掛ける弁護士、河東碧梧桐研究の第一人者で「河東碧梧桐全集」(発行・短詩人連盟 発売・蒼天社)を著した來空(1931~2019年)の奥さんで書道家、現役の美人建築家、以前は掃き溜めに鶴だった元ANA社員…多士済々、豪華絢爛の方々が加入している。
入場者 1週間に約300人モデルルームではなく百瀬氏&篠原氏「絵画&墨書」絆展(2020/10/19)
書評日本のお弁当文化知恵と美意識の小宇宙権代美重子著(2020/5/8)
息つく暇なし津田三佐雄「南極(難局)物語」百瀬・明大名誉教授ら凍りつく(2020/1/15)
日本原産の作物は10種類程度秋草学園短大・中村教授 OSIで〝目からうろこ〟の講話(2019/2/26)