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2026/07/12(日) 08:40

人・情・愛に徹し「道」究めた 明大名誉教授・百瀬恵夫氏「偲ぶ会」に200人超

投稿者:  牧田司

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「明治大学名誉教授 故百瀬恵夫先生を偲ぶ会」(ホテルグランドヒル市ヶ谷で)

 今年(2026年)4月10日に死去した明治大学名誉教授・百瀬恵夫氏(享年91歳)の「偲ぶ会」が7月11日、都内のホテルで行われた。同大学元学長・大六野耕作氏、同大学校友会名誉会長・向殿政男氏、同大学教授で柔道部部長・森下正氏、沖縄県酒造組合会長・佐久本学氏(代理)、第三企画代表・久米信廣氏が弔辞を述べた。会には同大学関係者のほか百瀬ゼミ卒業生、沖縄県酒造組合、OSI(沖縄観光産業)研究会など200人超が参列し、提供された沖縄泡盛などで献杯し、最後のお別れを告げた。また、百瀬氏が最高顧問を務めた明治大学マンドリンOB倶楽部27名による追悼演奏が行われ、百瀬氏が好きだった「柔」など数十曲が披露された。

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百瀬恵夫氏(2018年7月撮影)

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「明治大学名誉教授 故百瀬恵夫先生を偲ぶ会」(ホテルグランドヒル市ヶ谷で)

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黙祷

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明治大学マンドリンOB倶楽部による追悼演奏

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 ◇      ◆     ◇

(会では、百瀬氏の〝辞世〟のメッセージかどうかは確認できなかったが、次のような文書が配布された)

ご挨拶として 「道」 人・情・愛 百瀬恵夫

 私は、松本市郊外の片田舎で、昭和10年3月15日に九男二女の末っ子として生まれた。まだ桜が咲くには少し早い時期だった。父は隣村の農家の出身で長じて養蚕の技師となった。一人娘の母と結婚し、父は百瀬家の養子となる。信州は養蚕の盛んな地で、技師として力量を認められた父は、やがて栃木県足利から招聘され、養蚕学校を創設し校長に就任したという。だが、苦労がたたったのか私が5歳の時に亡くなった。

 戦後の農地解放で田畑を失い、11人の子どもを抱えて母の苦労は並大抵ではなかった。母は、私が15歳(高校生)の時に逝去した。母は、「父親がないからといって人様に後ろ指をさされるような人間になるな」「間違ったことをしてはいけない」「人のため世のために役立つ人間になれ」「家には財産は何もないので教育がすべて」」が口癖だった。私の心底に残っている母親の躾である。

 私の人生を顧みると、ただ懸命に走り抜けてきただけだった。だからこれといった熱い想い出もない。私は子どもの頃から絵を描くことが好きで、〝道〟を書くことが多かった。この一文の題の所以である。人が道を外さないで歩み続けることは、一見容易なことに思えるが、実は大変なことなのだ。「情」に竿させば流されるし、「愛」も小説やドラマほど美しく甘いものでもない。私は「人」も「情」も「愛」も大好きな言葉であり、かくのごとくありたいと思い努力してきた。

 この年まで私は足早に生きてきたために、家庭を顧みることがほとんどなかった。家にいるときは、本を読み論文を書くことと、眠ることだけだった。亭主としては最低であり、父親としては失格である。しかし、家内は実にうまく家庭を操縦してくれた。子どもには立派な父親だと言ってくれた。家内は小学校へ入学した時からの同級生だ。わがまま放題にしてくれたおかげで、11年もかかって論文をまとメルことができた。休みなく働き続けた翼を、家内と二人だけで休ませてくれたのが、英国ケンブリッジ大学での生活だった。そこが二人の故郷になった。

 これまで私が生きてこられたのは、実に多くの方々のご支援とご協力、ご指導を頂いたからこそである。月並みの言葉だが、ここに改めて心から感謝の誠を捧げるものである。担当のゼミ生諸君からは、「一年間で千回もバカヤロー」と叱りつけたと言われたが、彼らは卒業式の後に研究室を訪れ、「先生もう一度アレをお願いします」と乞い願い、最後の〝洗礼〟を受けて学び舎を発って行ったのが懐かしい。「暑いとき=若いときは寝なんで勉強しろ」「シャープなカミソリではなく、明大生は重厚なマサカリたれ」と叱咤激励したことも思い出す。

 また、多くの先輩・同僚・後輩・学友の皆様、中小企業・協同組合関係の皆様、沖縄県の皆様、OSI研究会の皆様、明治大学マンドリンOB倶楽部の皆様、明治大学柔道部・剣道部・ラグビー部・野球部などの皆様、そして知人・友人・親族の方々、本当に有難うございました。百瀬恵夫は今後、鎌倉の建長寺の墓から、皆様のご健勝・ご隆昌を祈らせていただきます。今年の桜は美しい。

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〝おーお、明治!〟(右から2人目が幸子夫人)

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〝先生、さようなら〟

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左から百瀬陽一氏(秋草学園短期大学名誉教授)&百瀬ユカリ氏(日本女子体育大教授)ご夫妻、百瀬先生の奥さん・幸子さん、ご夫妻の長男

◇       ◆     ◇

心に沁みた「愚痴をこぼしてどうする。物事は実現させてなんぼ」       

明治大学名誉教授・前学長 大六野耕作氏

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大六野氏

 本日は、百瀬恵夫先生を偲ぶ会にお招きいただき、謹んでお別れの言葉を申し上げます。

 私が百瀬先生と初めてお会いしたのは、政治経済学部の助手として採用された頃でした。専門分野は異なりましたが、それ以来、先生には公私にわたり、実に40年近く温かいご指導とご厚情を賜りました。

 百瀬先生は、中小企業研究の第一人者として数々の優れた研究業績を残され、多くの学生を育てられました。また、経済の現場では中小企業の経営問題に協同組合の仕組みを導入し、日本の中小企業の活性化に大きな貢献をなさったことは、本日ここに参集された多くの皆様がよく知るところです。しかし、私にとって先生は、それ以上に「明治大学はいかにあるべきか」を生涯考え続けられた大学人でした。

 大学は社会の変化に応え、自らも変革していかなければならない。そのためには若い世代が挑戦し、新しい時代を切り拓かなければならない。そのようなお考えを、先生は折に触れて私たちに語ってくださいました。

 私自身、明治大学の国際化を進める仕事に携わってまいりました。しかし、その道は決して平坦なものではありませんでした。新しいことに挑戦すれば、理解されないこともあります。壁にぶつかり、自信を失いそうになることもありました。そんな時、百瀬先生は私が気づかないところで、いつも静かに背中を押してくださいました。

 先生は若い教員と酒を酌み交わすことがお好きでした。私も何度となくご一緒させていただきました。若かった私たちは、つい仕事の難しさや大学への不満を口にしてしまうことがありました。そんな時、少し声を強めながらも、その眼差しはどこまでも温かく、必ずこうおっしゃいました。

 「若い人が愚痴ばかりこぼしてどうするんだ。物事は実現させてなんぼだよ。もっとしっかりしろ」 その言葉には、先生の人生そのものが込められていたように思います。先生は愚痴を戒めたのではありません。理想を語るだけで終わることを戒めておられたのです。

 大学を変えたいと思うなら、自ら動きなさい。社会を変えたいと思うなら、まず自ら行動しなさい。その実践の積み重ねこそが大学を育て、社会を変えるのだということを、先生はご自身の生き方をもって私たちに示してくださいました。振り返りますと、私が国際交流の推進や大学改革に取り組み続けることができたのは、百瀬先生が折に触れて励まし、見守り、時には厳しく叱咤してくださったからにほかなりません。

 先生は、私一人を支えてくださったのではありません。明治大学の未来を担う若い教員たちを信じ、その成長を支え続けてくださったのです。そして、その先生のお気持ちは、今日の明治大学の発展の礎として、今なお息づいていると私は信じています。

 百瀬先生。先生からいただいたご恩は、到底返しきれるものではありません。しかし、先生が愛してやまなかった明治大学をさらに発展させ、次の世代へ引き継いでいくことこそが、私たちにできる恩返しだと思っています。そして、これからも何か困難に直面するたび、私はきっと先生のお顔を思い浮かべることでしょう。

 「若い人が愚痴ばかりこぼしてどうするんだ。物事は実現させてなんぼだよ。もっとしっかりしろ」 先生。はい。私たちは、しっかり歩んでまいります。百瀬先生、長い間、本当にありがとうございました。どうぞ安らかにお眠りください。

まるで父のように温かく、そして厳しく導いてくださった

明治大学校友会名誉会長 向殿政男氏

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向殿氏 

百瀬先生、こうしてお別れを申し上げる日が来てしまいました。痛恨の極みであります。

先生は、各方面にわたり尽きることのない情熱と行動力を持って精力的にご貢献され、実に大きな足跡を残されました。

明治大学においては、研究・教育・大学運営の各分野で功績を重ねられ、今日多くの後輩が先生の志を受け継ぎ、大学の発展に寄与しております。

また、ご専門である中小企業研究の領域では沖縄の泡盛の育成と活性化に大きな業績を残され、現在の発展の礎を築かれました。

私自身、理工学部に所属しておりましたが、学部の垣根を超えて先生より温かいご指導を賜り、今日の私を形づくってくださいました。

とりわけ明治大学校友会では私が校友会会長を務めた十年間、先生は敢えて副会長に留まり、熟練した会議運営能力と幅広い人脈をもって未熟な私を支え続けてくださいました。まるで父のように温かく、そして厳しく導いてくださったこと、忘れることはできません。明治大学校友会が今日まで健全に存続しているのは先生の先見性と大所高所からのご指導の賜物であります。

人を惹きつける人間的魅力 揺るぎないご意思 その奥にある深い優しさ 先生に出あった者は皆 先生を忘れません。先生から受けたご恩を私たちは決して忘れません。

百瀬先生、長きにわたり本当にありがとうございました。どうか安らかにお眠りください。

「ロマンをソロバンで実現する」教え実践へ

第三企画代表 久米信廣氏(最後の弟子・百瀬久米)

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久米氏

 百瀬先生のご遺族の皆様、本日はこのような貴重なお時間をいただき、誠にありがとうございます。心より感謝申し上げます。

 百瀬惠夫先生の最後の弟子、百瀬久米(ももせきゅうべぃ)、弔辞の言葉を述べさせて頂きます。

 百瀬先生は、私に経済学だけを教えてくださった先生ではありません。先生が教えてくださったのは、「人を見なさい」 「地域を見なさい」 「風土を見なさい」という、人間を中心に据えた学問であり、生き方そのものでした。

 先生の風土論的経済学は、経済を数字だけで捉える学問ではありません。その土地には、その土地の歴史があり、文化があり、人々の暮らしがあり、そこから人の考え方や産業が育まれる。だからこそ、経済の原点は「人」であり、「風土」である。

 私は、そのことを先生から学ばせていただきました。私はいつも、先生から「バカヤロウ」と叱られていました。しかし今振り返ると、その言葉は私を否定するためではなく、人として、そして学ぶ者として成長してほしいという、先生の深い愛情そのものだったのだと信じます。

 先生は、いつも静かに語られました。決して人を押しつけることなく、深い学識をひけらかすこともなく、話に耳を傾けながら、本質へと導いてくださいました。

 その厳しさと優しさを、私は生涯忘れることはありません。そして今、その教えは、私が経営する第三企画の中で生き続けています。

 人が育てば会社が育つ。会社が育てば地域が育つ。地域が育てば新しい文化が生まれる。

 そして、その文化が新しい風土を育てていく。私は、この循環こそが、百瀬先生が私たちに示してくださった未来への道であると信じています。

 先生のお姿は、もう私たちの前にはありません。しかし、先生からいただいた思想は、私たちが実践する限り決して消えることはありません。

 私は最後の弟子として、この教えを学問として受け継ぐだけではなく、現代社会の中で実践し、次の世代へ伝えていくことを、ここにお約束いたします。

 最後になります。先生が私に遺してくださった風土論は、私の人生の中で、「人の前に明かりを灯す」という企業理念となり、「ロマンをソロバンで実現する」という経営理念となり、「言葉を生きる」という行動理念となって、今も息づいています。

 私は、この理念を実践し続けることこそ、先生への最大の恩返しであると信じています。

 そして、百瀬風土論を学問として語るだけではなく、現代社会の中で実践し、次の世代へと受け継いでまいります。

 先生は私たちに、「風土」という学問を遺してくださいました。私はその風土に、新しい時代の光を灯し続けることを、生涯の使命として歩んでまいります。

 百瀬先生、本当に長い間ありがとうございました。どうかこれからも、私たちの歩みを温かく見守っていてください。先生の教えを受け継ぎ、その志を未来へつないでまいります。

  心よりご冥福をお祈り申し上げます。百瀬先生、ありがとうございました。

◇      ◆     ◇

以下、会場で拾った参列者のコメント

・加藤嘉彦氏(72) 百瀬ゼミ一期生。今(不動産業)あるのは先生のお陰。ゼミでは不動産に関するアドバイスをたくさん頂いた

・加藤恵子氏(72) 加藤の妻で同窓同学年。私は経営学部。正月には先生のお宅に伺ったこともあり、大変お世話になりました

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加藤ご夫妻

・高野和紀氏(85) 先生には大変お世話になった。沖縄も台湾も経験させていただいた(明治大学マンドリンOB倶楽部部員)

・大槻岳雄氏(86) メンバーの最年長は94歳だが、今日の参加者27人のうちでは私が最年長。先生もギターがパートで、差し上げたこともある(明治大学マンドリンOB倶楽部部員ギタリスト)

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高野氏(左)と大槻氏

・玉川憲志氏(85) 佐藤さん(OSI研究所・佐藤基之理事長)が研究会を立ち上げたとき、百瀬先生を理事長にしようと一緒に研究室までお願いに行った。定年後は、独学で絵画を学び、日展に受賞できるよう励んでいる

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玉川氏

・杉山通氏(74) 人生で一番刺激を受けた恩師(百瀬ゼミ一期生)

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左から百瀬ゼミ卒業生でOSI研究会事務局・小林信氏(第7期)、杉山氏(第1期)、加藤氏(第1期)

・國分ひろみ氏 村山さん(元内閣総理大臣の故・村山富市氏)に会えたとき、先生の人脈の広さに驚きました(墨書家。亡夫・來空<1931年9月10日-2019年9月21日、本名:鈴木昌行>河東碧梧桐研究の第一人者)

河東碧梧桐、來空、丸山健二の「詩小説」…通底する大和言葉の魅力(2020/11/6)

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から國分氏、森下教授の奥さん・美智恵さん、森下教授

・吉田秀彦氏(56) 先制には学生時代からお世話になった。先生が柔道部の部長で私が大学4年のとき全国優勝した。今年の全日本学生柔道優勝大会で明大は25年ぶり17回目の優勝を果たした。先生を胴上げしたかった(1992年バルセロナオリンピック柔道男子78kg級金メダリスト。パーク24柔道部総監督)

・阿武教子氏(50) 当時、女子部員はいなかった明大柔道部に入りたくて、先生に尽力していただいた。卒業してからも孫のようにかわいがっていただいた(2004年アテネオリンピック女子78kg級金メダリスト)

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吉田氏(左)阿武氏

・村松洋明氏(57) 百瀬ゼミ16期生。大学を卒業してすぐ先生に仲人になってもらい結婚し、超零細の家業を引き継いだときは倒産寸前。今は無借金経営で50名くらいの会社になった。数年前、先生からの1枚のお葉書に、「貴殿は自慢の教え子である」とのお言葉をいただいた時は嬉しくて涙し、勲章として胸に刻んでいます(ミラック光学・AIハヤブサ代表取締役)

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左から見﨑信朗氏(71)、新井啓之氏(71)、村松氏

・石井学氏(65) 百瀬先生は当部の最高顧問として私どもの活動にも惜しみないご支援とご指導をくださいました。私ども明治大学マンドリンOB倶楽部は、これからも百瀬先生への感謝を胸に、「百瀬スピリッツ」を受け継ぎ、その志を未来へとつなぎながら歩み続けてまいります。本日の演奏が皆様の心に響くものであったら幸いです(明治大学マンドリンOB俱楽部幹事長)

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石井氏

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