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2022/04/20(水) 16:12

愛と自由を信じて〝右向け左〟業界トップの祝辞は警句 住宅新報75周年特集号に思う

投稿者:  牧田司

 住宅新報社は「住宅新報」が創刊75周年を迎えたことを2022年4月19日号で報じた。そうであれば同社社長・中野孝仁氏の挨拶や歴史・沿革などを紹介する記事もあってよさそうだが、電子版で探した限りではそのようなものはなく、いきなり創刊75年記念特別インタビュー記事「斉藤鉄夫国土交通大臣に聞く」がトップを飾り、次いで「住宅・不動産業の過去と未来を追い求め 中古流通促進を後押し 常に業界と共に」の長ったらしい、肝心の「今」が抜けている見出しの特集記事が掲載されている。そしてまた、この種の記念号にはつきものの業界団体トップ約20人の祝辞が披歴されている。

 齊藤国交相の記事は省略するが、「中古流通促進…」の記事の書き出しはこうだ。「1948(昭和23)年の創刊から75年、住宅新報は住宅・不動産の専門紙として、その時代時代の今と将来を追い、新たな展開への一助となるべく読者の皆様と共に編集されてきた…様々な局面で多くの方の羅針盤となれるよう奮闘してきた…ここでは、創刊からの75年の歴史とここ最近の重要な法改正を取り上げ、今一度過去を振り返る。もしかすると、ポストコロナあるいはウィズコロナにおける住宅・不動産業の将来も見えてくるかもしれない」と。

 業界団体トップの祝辞もいくつか紹介する。(順不同)

 「戦後間もない住宅不足の時代から、今回のコロナ禍に至るまで、社会経済の様々なうねりの中でオピニオンリーダーとして活躍してこられた」(プレハブ建築協会会長・堀内容介氏)「(住宅・建築業界の羅針盤として)貴紙は一貫して迅速かつ正確、公平公正な視点での報道に努められた」(日本木造住宅産業協会会長・市川晃氏)「住宅新報の歴史は、これすなわち我が国不動産の歴史にほかなりません」(全日本不動産協会理事長・秋山始氏)

 「時代は紙媒体からデジタルへと、業界でも大きな変革を迎えており…住宅新報におかれましても老舗の専門紙の伝統を生かしつつ、創刊100周年をめざし…」(全国宅地建物取引業協会連合会会長・坂本久氏)「一貫して豊富な取材に基づく貴重な情報発信や慧眼あふれる提言を通じ、我が国の住宅不動産市場の発展に多大な貢献を果たしてこられました」(住宅金融支援機構理事長・毛利信二氏)

 「住宅・不動産業界のビジネストレンドを的確かつ迅速に発信される貴紙の重要性は、今後ますます大きくなるものと思われます」(不動産協会理事長・菰田正信氏)「専門紙ならではの広範かつきめ細かい取材を通じて、新たな潮流や真の声を届けて頂けるものと期待」(住宅生産団体連合会会長・芳井敬一氏)「貴紙が『時代を映す鏡』としてますます発展されることを祈念」(日本不動産鑑定士協会連合会会長・吉村真行氏)

◇        ◆     ◇

 小生も40余年にわたって業界紙の記者として働いてきたので感慨深いものがある。しかし、同紙を業界団体と同じように褒め称えても何の役にも立たない。〝良薬は口に苦し〟にならないかもしれないが、あえて苦言を呈す。

 昔の同紙は知らないが、現在の同紙を含めた業界紙には歯がゆく感じている読者の方は多いのではないか。善事も悪事も千里どころか一瞬にして世界を駆け巡る時代に、読者の手に届くころには旧聞になっている事象を同紙は平気で〝このほど〟の一語でもってあいまいにする。

 今回の特集記事の冒頭に「羅針盤となれるよう奮闘してきた」とあるが、吹けば飛ぶような業界紙がどうして羅針盤になれるのか。過去75年を振り返るなら、メディアとして何を実現したのか、何ができなかったかを示してほしい。最近の重要な法改正と中古流通の関連性もまったく書かれていない。大変失礼だが、このような記事を羊頭狗肉という。夜郎自大、ご都合主義の典型だ。

 業界トップの祝辞は外交辞令だから、読者も同紙関係者も真に受ける人はいないだろうが、小生はこれこそ業界紙の致命的欠陥である事大主義の極みであり、手を擦り足を擦る卑しい根性が透けて見え、とても嫌な気分にさせられた。

 だが、しかし、うがった見方をすれば、業界トップの祝辞は本質をついている。業界紙への警句でもある。あらゆる言葉には反対概念が内包されているからだ。

 「オピニオンリーダー」には「旧套墨守」が、「真摯な報道」には「いい加減な報道」が、「真の声」には「プロパガンダ」が、「慧眼」には「凡眼」の意味が含まれている。「広範かつきめ細かい取材」は「局地的かつ大雑把な取材」に、「鏡」は「改ざん」に置き換わる危うさもある。「期待」はいつだって「失望」へ転化する。不動産・住宅市場を「支える」のは「ぶち壊す」ことにもつながる。「老舗」は常に「保守化」「高齢・老朽化」など継続性に疑義が発生する危険性をはらんでいる。愛と憎しみは紙一重だ。善と悪がひっくり返ることをロシアのウクライナ侵攻は示した。

 業界団体トップの声はそのような危うい世相を反映している言葉だと受け止めると、なるほどとうなってしまう。コピペ記事など誰も期待していない。「慧眼」などと臓腑をえぐる言葉を発した毛利氏は、平成20年の国交省総合政策局不動産業課課長のとき、RBA野球大会の抽選会に出席され、自ら野球少年であったことを紹介し、好きな言葉として「昨日の夢が今日は目標となり、そして明日には実現する」と話した。愛と自由は死語にならないことを祈ろう。

◇        ◆     ◇

 もう一つの業界紙「週刊住宅」は3月28日号で創刊3000号記念(年間50号として60年か)として特集記事を組んでいる。業界団体の祝辞は全宅連や全日など数団体しかなく、あとはハウスメーカーやデベロッパー、流通会社のメッセージが寄せられているのみだ。ここに両紙の媒体力が現れている。

 それはさておき、創刊記念号ではないが、同紙4月11日号には鈴木宏明氏による連載コラム「不動産業界1年生」がスタートした。連載は月に1回、合計6回掲載するとある。

 第1回目を興味深く読んだ。同氏は「シンプルな結論として営業マンが必要とすることは一つです。それは『相手の視点でどれだけ物事を見れるか』(いわゆるら抜き=記者注)という事です」「これは営業という仕事の特性ではなく、生きていく上で人として重要な心持ちでそれを生業、社会活動の中でどこまで落とし込めるかというのが一番の課題なのかもしれません。簡単なようで難しいのは、このような記事を寄稿できるチャンスをいただけた事が物語っています」と述べている。

 「記事を寄稿できるチャンス」というのは意味深だ。簡単なのか難しいのかいま一つよく分からない。同紙には鈴木社長を含め鈴木姓の記者が少なくとも3人いる。それと関連があるのかどうか詮索などしない。「相手の視点でどれだけ物事を見られるか」は何事にも通じることだ。「相手の視点」には「第三者の視点」「鳥瞰的な視点」を加えてもいいかもしれない。

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 ついでにジャーナリズム論について紹介する。

 共同通信社勤務のあと、上智大学教授などを歴任された藤田博司氏は著書「ジャーナリズムよ メディア批評の15年」(2014年刊、新聞通信調査会)のまえがきで、15年間1870本超のコラムを書くにあたって「いつも心がけたことが二つあった」とし、「一つは読者、視聴者の立場、市民の立場で考えること」、「もう一つは事例に即して判断すること」「判断のよりどころとしてジャーナリズムの基本原則、その規範や倫理を念頭に置いていた」とし、基本原則は具体的には独立性であり、公正、正直、誠実と語っている。

 この独立性、公正、正直・誠実はジャーナリズムの命だろう。わが業界の評論家、ジャーナリストの皆さんはそれを実践しているかどうか、胸に手を当てて考えていただきたい(小生はやましいところもあるので「記者」と自称している)。

 ジャーナリズムのあり方としていま一番気になっているのはAIだ。AIの登場はメディアも劇的に変える。元毎日新聞、共同通信社記者で龍谷大学教授・畑中哲雄氏は著書「ジャーナリズムの道徳的ジレンマ」(2018年刊、勁草書房)で、「オックスフォード大学と、野村総研は、日本の労働人口の約49%が10~20年後には人工知能で代替え可能になると試算している」「AP通信のAI『ワードスミス』は…2014年1年間で書いた記事やリポートは10億本、1秒あたり2000本に上るという」と述べている。

 1秒間に誤字脱字のない正確な記事を2000本もAIに書かれたら、多くの記者は職を失う。生き残れるのは、同著がロボットは(現段階では)言葉の意味を理解できないので東大には合格できないと指摘しているように、愛とか美、自由、あるいは小説などの分野しかないのではないか。我田引水だが、小生のモットーである〝記事はラブレター〟がそこで生きてくる。AIは魂を込めることはできないはずだ。

 最後に、八巻和彦氏編著「日本のジャーナリズムはどう生きているか」(2016年刊、成文社)の中で日刊現代編集局ニュース編集部長・小塚かおる氏が指摘していることを紹介する。

 小塚氏は、一見きれいに見える花でも裏側からみるとそうでもないケースを紹介したうえで、「真実というものは人の数だけあると思います。ジャーナリストの仕事というのは、そのようないろいろな真実、人の数だけある真実をできる限りたくさん取材して、できる限り当事者に近づいて、それをいくつも提示することだと思います…『客観報道というものはない』ということ」と語っている。

 その通りだと思う。業界紙の記者の皆さんは、公正な〝客観報道〟のため私見を極力挟まないようにして記事を書いているようだが、そもそも眼前に提示されているものや情報は、人の手によって恣意的に変形、誇大化・矮小化されていると考えたほうがいい。

 小生は小さいころ〝右向け左〟をやって先生によくしかられた。しかし、このような態度はまんざら間違いでないと歳をとってから分かってきた。だから馬鹿にされ嫌われるのだが、そんなこと知ったことかと居直っている。

 ここで一句。

講釈師見てきたようなうそを言い

業界紙見てきたままに記事書かず

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〝企画主義〟掲げ住宅新報値上げ 1ページ29円へ 〝下の水〟の週刊住宅は50円(2019/2/12)

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