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「ヘーベルVillage杉並井草」

 先の旭化成ホームズ「へーベルメゾン母力すぎなみ」に続いて、シニア向けの賃貸マンション「ヘーベルVillage杉並井草」について。

 物件は、西武新宿線下井草駅から徒歩7分、杉並区井草一丁目の第一種低層住居専用地域に位置する重量鉄骨造3階建て全26戸。専用面積は46.69~62.07㎡。月額家賃は59㎡の2LDKで150,000円、共益費23,000円で合計173,000円。設備仕様は床暖房・IHヒーター・エアコン・洗浄暖房便座付きトイレ・緊急通報装置・暖房機能付き浴室など。2018年4月竣工。

 サービスはALSOKによる健康相談・緊急対応・ライフリズム監視、社会福祉士などによる生活相談・生活支援訪問、連携医療機関の紹介、家族への状況報告、コミュニケーションタブレットなど。このほか、家事代行サービス、訪問介護サービス、訪問診療サービスなども選択できる。

 オーナーは複数の賃貸を所有する賃貸経営のプロで、自宅向かいの土地の相続税対策として競争力のある賃貸住宅を希望したのに対し、同社の提案が採用された。オーナーからはその後、「母力」の契約も結んだ。

 「ヘーベルVillage」は2005年から発売。これまでに64棟856戸を受注、2020年度末までに100棟1,000戸超の受注を目指す。2018年7月末現在、22棟285戸の入居率は95.1%。

 同社新規事業推進本部シニア事業推進部部長・田辺弘之氏は「当初はニッチの商品かと考えていたが、自立したシニアが大幅に増加する傾向にあり、老朽化した戸建ては住みにくい環境(広すぎる・段差がある・管理が大変など)にあり、その一方で介護施設ではない快適で安心して暮らせるこのような賃貸住宅のニーズがあることが分かった。完成後ほぼ1カ月で満室になる。付加価値型賃貸が入居者にも評価されている」と話した。

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 「ヘーベルVillage」を見学するのは初めて。分譲マンションを中心に取材している記者は、設備仕様には物足りなさを感じたが、利回り最優先の一般的な賃貸マンションとの差別化ができていると感じた。

 とくに、先の「母力」もそうだったが、既存の高木を生かし、緑被率を高め、公開空地を設けたりするランドスケープデザインがいい。

 受注が飛躍的に伸びているのもよくわかる。〝ニッチ〟どころかこれこそが〝コア〟事業で、地域特性に応じ設備仕様レベルを上げ、共用施設・スペースを設け、分譲仕様に負けないものができるのではないかとも思った。

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 同社が同日公表した「ヘーベルVillage」入居者属性調査(調査対象250件)が面白い。

 夫婦での居住が約3割で、独居女性が約50%、残りは独居男性約12%、親子約4%となっている。入居者の平均年齢は76歳で、要介護・要支援認定者が圧倒的多数を占めるサ高住とは逆に、自立が約8割を占め、入居前の「持家戸建て・マンション」が約7割に達し、約4割の人が自宅を売却して入居を決めている。

 入居時の希望としては、「干渉されずにマイペースで暮らしたい」「人の世話になりたくない」「自分の部屋を持ったり、沢山の荷物を収納する広さが欲しい」などが多数で、入居理由には「高齢者のみの暮らしが不安」「一戸建ての暮らしが不安」「自宅の不満・不便」「家が古くて寒い」「広くて維持管理が億劫」「買い物が不便」などを上げる人が多いという。

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あれから6年 「BORIKI(母力)」じわり浸透 旭化成ホームズ「母力おぎくぼ」見学会(2018/8/22)

 

カテゴリ: 2018年度

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「大手町プレイス」ウエストタワー&イーストタワー

 都市再生機構(UR都市機構)とNTT都市開発は8月23日、共同で開発を進めている「大手町二丁目地区第一種市街地再開発事業」(大手町プレイス ウエストタワー&イーストタワー)が竣工したのに伴うプレス向け内覧会を行った。

 物件は、東京メトロ・都営地下鉄大手町駅から徒歩1分、JR東京駅から徒歩7分、千代田区大手町二丁目に位置する敷地面積約19,900㎡、延床面積約202,000㎡の35階建てウエストタワー、延床面積約152,000㎡の32階建てイーストタワーの2棟からなる延床面積約354,000㎡。容積率は100%の緩和を受けており1,570%。用途は事務所、店舗、カンファレンス、地域冷暖房施設、駐車場など。ウエストタワーの建築主はNTT都市開発で、設計が日本設計、施工が竹中工務店、監理が日本設計。イーストタワーの建築主はUR都市機構で、設計・施工は大林組、監理は日本設計・NTTファシリティーズ共同企業体。総事業費は約1,700億円。建物はCASBEE Sランク相当(自己評価)。

 現地は、旧東京郵政局、旧逓信総合博物館、旧東京国際郵便局の建物が建っていたところで、施設の更新と街区の高度利用、地域貢献の観点から再開発することとなり、2013年にUR都市機構が施行代表として、NTT都市開発が共同施行者となり再開発施行認可を受けた。今年4月、名称が「大手町プレイス」に決定された。

 建物の施工にあたっては、一般的な順打ち工法ではなく、工期短縮(約半年)の効果がある工事を地上階と地下階を同時に進める逆打ち工法を採用。開発コンセプトは、①国内最高水準の通信環境の整備による国際的ビジネスセンターの機能強化②大手町地区の業務継続能力の向上③うるおいのある都市基盤の創出。

 ①については、ウエストタワー低層部に約6,000㎡のインターネットデータセンター(IDC)を、イーストタワーにはエリア最大級の約750㎡のカンファレンスセンターを整備した。

 ②では、地域冷暖房施設のループ化、最大72時間非常用発電機能の確保を図り、③では大手町と神田をつなぐ「セントラルプロムナード」と「竜閑さくら橋」の整備などを行っている。

 デザインコンセプトは、「地域をつなぐ」「人をつなぐ」「時をつなぐ」で、建物デザインでは従前の建物の水平ラインを継承・踏襲した庇状ルーバーを採用して日射制御を行っているのが特徴。

 また、神田と大手町をつなぐ長さ200~300mに及ぶ「セントラルプロムナード」では、一般の人が建物の中で自由に座ったりくつろいだりする空間を演出しているほか、南西側交差点との接続部には開放的な地下空間(サンクンガーデン)を設置している。

 ウエストタワーは地権者の日本郵政、日本郵便、ゆうちょ銀行、かんぽ生命保険の郵政グループ4社が霞が関・日本郵政ビルから移転し、本社機能を移す。

 イーストタワーは12階から31階までを住友商事が入居し、同社は本社機能を中央区のトリトンスクエアから移す。11階以下はみずほ信託銀行がリーシングなどを受託している。

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南西側

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南側

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庇状ルーバー

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北側

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北側のグリーンプロムナード

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南側の壁面緑化

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 内覧時間は1時間30分くらいか。この間に敷地面積だけで約19,900㎡もある2つのビルのオフィスロビー、オフィス、カンファレンスホール、セントラルホール、サンクンガーデン、グリーンプロムナード、アートなどを見て回り、担当者から説明を受け、写真にも収めるわけだから取材はかなりハードだ。ましてや記者はビルには弱い。どこまで正確か分からないが、受けた印象を率直に伝えたい。

 圧巻は、全長200~300m(ずいぶん幅があるが、担当者の説明をそのまま伝えるほかない)、幅にして約6mの歩行者空間「セントラルプロムナード」だ。ただ広いというだけでなく、タッチダウンできる空間(LAN環境は不明)やゆったりくつろげるソファ・椅子・ベンチなども備えられている。L字型の敷地・建物をつなぐためのサインや壁、床に工夫を凝らし、1階と2階、2階と3階、さらには外と内をつなぐ多層空間の演出は見事というほかない。

 この歩行者空間を設けたことは、100%の容積緩和を受けた要素の一つだという。東京駅・大手町駅-神田駅の人の流れがどうなるのか興味深い。

 床・壁・天井などの素材にも相当こだわっているという印象を受けた。なかでも高さ約12mの東エントランスホールと西エントランスホールの壁に採用されている障子をイメージした下見板張りの「シンボルウォール」が美しい。石は日本ではあまり見られないブラジル産とか。縦のスリットラインから光が漏れる工夫がされていた。

 ウエストポールのサンクンガーデンを見渡せる2階の壁にはアール状の腰タイルが採用されていたが、金色に輝くように細かな細工が施されていた。

 イーストタワーの4つのエレベータバンクホールの壁には春夏秋冬をイメージした和紙壁が採用されていたが、しっかり見ることができなかった。

 グリーンプロムナードの舗道にはアルゼンチン産の斑岩が張られ、花台、シラカシの大木、木製のベンチなどを設置して、人の流れを誘導する仕掛けが施されていた。

 オフィスワーカー向けのサポートフロアの有無は分からなかった。個別テナントで整備するとのことだった。

 南西側エントランス前には杉本博司氏による高さ12mのアート「SUNDIAL.2018」が設置されているが、このころには疲れ果て、どのような仕掛けで日時計になっているのか全く分からなかった。

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カンファレンスホール(天井高は約5m)

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敷地東側の線路の騒音を完全にシャットアウトするためガラスは2重構造

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オフィスフロアの庇状ルーバー(標準階の天井高は2900ミリ、専用面積はイーストが2920ミリ、ウエストが3800ミリ)

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オフィスロビー(右がイースト、左がウエスト)

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セントラルプロムナード(それぞれポートがある)

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2階セントラルプロムナードから階下を写す(右の光っているのが腰タイル)

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東エントランスホール(右の壁が「シンボルウォール」)

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西エントランスホールの「シンボルウォール」

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1階店舗ゾーン

NTT都市開発 大手町最大規模の街区開発「大手町プレイス」に決定(2018/4/24)

カテゴリ: 2018年度

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「母力おぎくぼ」

 旭化成ホームズは8月21日、子育て共感賃貸住宅「へーベルメゾン母力おぎくぼ」と、シニア向け安心賃貸住宅「ベーベルVillage杉並井草」の見学会を戸なった。双方ともターゲットを絞り込み、差別化を徹底した付加価値型賃貸住宅だ。

 まず、「母力おぎくぼ」から。物件は、JR中央線荻窪駅・西荻窪駅から徒歩15分、杉並区南荻窪2丁目に位置する2LDK(61.43~75.87㎡)の東棟・西棟2棟の14戸。賃料は155,000円~166,000円(別途 共益費6,100円)。2015年11月完成。主な設備はエアコン2台/戸、録画機能付きモニターインターホン、システムキッチン、洗面化粧台、追炊き付き風呂、浴室乾燥暖房機、洗浄暖房便座、光ファイバーインターネット、開口部シャッターなど。駐輪場は大人用2台・子供用1台/戸、駐車場は6台。

 オーナーは母屋と蔵、貸し駐車場の合計1,000坪を将来の相続税対策として検討。シニア系施設の提案も行ったが、オーナー自身が子育て系に関心が高く、保育園の建築を希望したため、併せて母力を提案して実現した。

 敷地中央にある既存樹のカシノキを利用し「母力の庭」と「お母さんステーション」「砂場」を設置しているのが特徴。

 見学会では2人の女性入居者が報道陣のインタビューに応え、「ママになるのは初めて。コンセプトは知らなかったが、たまたまこの場所を選んだ。保育園に入りやすいし、必要なときに助けてもらえるのがいい」「誰かが見ていると思うと安心できる。子育ては一人でできない」などと話した。

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 「母力(ぼりき)」を見学するのは3度目か。2012年竣工の第一弾「母力むさしの」を見たときも書いたが、〝ぼりき〟なる言葉から記者はすぐ「強力(ごうりき)」とゴーリキの小説「母」を連想し、最近の若いお母さんが家庭で主導権を握っていることを実感させられ、なんとも頼もしい存在に映り、敬服すると同時に、いかにも非力で頼りなげな影が薄い記者そのものを自覚させられた。

 あれから6年。同社によると受注は19件32棟で、竣工物件は10件17棟、戸数にすると160戸だという。この数が多いのか少ないのか、記者には判断する材料がないが、少なくとも一般的なファミリー向け賃貸の商品企画が貧しいと言わないまでも問題があることだけは確かだ。

 同社はまた、10棟目の「母力」シリーズが完成したことを受け、コミュニティペーパー「BORIKI(母力)新聞(百万母力の子育て情報紙月刊お母さん業界新聞)」を創刊した。「BORIKI(母力)」が浸透するのは結構だが、「夫力(ふりき)」はないのか、夫の家庭での居場所はあるのか…改めて考えさせられた。

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「母力おぎくぼ」

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 荻窪駅から徒歩15分の家賃が15~16万円(年間約180~200万円)なら分譲マンションが買えるではないかと入居者の方に質問した。

「子どもは1人か、2人になるのか分からない」「気軽に引っ越せる賃貸のほうがいい」「夫の転勤が4~5年に一度くらいある」のが、賃貸を選んだ理由のようだ。

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「母力おぎくぼ」(中央はシラカシか)

旭化成ホームズ「へーベルメゾン母力むさしの」完成 コンセプトがズバリ的中 完成前に満室(2012/9/24)

 

 

 

カテゴリ: 2018年度

 今年5月6日、92歳で死去した大京創業者の横山修二氏の「お別れの会」が7月23日、故人が会長を務めていた山幸商事の主催により都内のホテルで行われた。会場で関係者に配布された文書「横山修二 講話 当社の辿った経営戦略と今後の課題と対応」(機関誌「全住協NO 141(1985年1月)」)を入手した。

 文書は1万字を超えるもので、横山氏は戦争と4年間のシベリア抑留の厳しい体験が後半生の人生を変えたこと、住宅建設が戦後復興に欠かせないと判断して創業したこと、その後、オイルショックを乗り切り、マンション事業に傾注し、資金効率を重視した販売戦略を構築し、上場を果たすことで大手デベロッパーをしのぐマンション最大手に成長させたこと、さらに、ワンルーム市場など都市型住宅はどうあるべきかについても語っている。

 講話は、戦争を考える意味でも、大手をしのぐ勢いで同社がどうして伸長したのかなどを知る意味でも貴重であり、歴史として残すべきと判断して紹介する。

 掲載に当たっては、読みやすくするため適宜改行を施し、漢数字は算用数字に改めたが、文章の変更、省略は最小限にとどめた。小見出しは記者が付けた。

大京の辿った経営戦略と今後の課題と対応

 ただいま庄野委員長からご紹介をいただきました横山でございます。当初は講師をお引き受けすることをご辞退申しあげたのですが、委員長のほうから是非ともという要請がございましたので、大京観光の26年を振り返りながら、特に厳しい時代をとりあげて苦労話しでもみなさんにおきかせしようというつもりで本日まいりました。

人生塞翁が馬 幹部候補生になれず

 会社の厳しい時代の話しに入る前に、どうしてもみなさんに聞いていただきたいことがあります。私の後半の人間形成について、極めて重大な事件が二つあったのです。事件というよりも生活体験といったほうがよろしいでしょう。この二つのファクターのお蔭で会社設立から26年間の苦しい場面を乗り越えてきたとも言えると思います。

 二つの重要な事件のまず一つは、昭和19年に軍隊に入隊したことです。同年12月甲府の六三部隊に入隊しました。入隊する前私は現芝浦工大に在学しておりました。昭和18年には東京高等工学校と芝浦工業専門の二つになりました。私は東京高等工学校の附属から入学し予科を経て昭和20年の3月に卒業する予定でした。

 ご存知のように太平洋戦争の勃発により19年に繰り上げ卒業し入隊しました。実は18年には東京高等工学校に籍をおいていたのですが、当時中学(旧制)卒業の検定試験を受けますと自動的に芝浦工業専門に籍を移すことができたのです。私はアイスホッケー部に所属しておりまして、芝浦のスケートリンクでスケートの練習に熱中していました。当時友人の3分の1ぐらいは検定試験を受けて芝浦工業専門の方に進んだのです。この工業専門に進みますと軍隊に入るときに幹部候補生としての資格が得られるのです。ところが東京高等工学校を卒業するとその資格がないのです。そのことが、昭和20年までの私の人生を大きく左右することになったのです。

 私がもう少し勉強して、芝浦工業専門に入っていれば幹部候補生として南方方面に派遣されていたはずです。芝浦工専に入った友人の数多くは、南方方面で玉砕しています。振り返ってつくづく感慨にふけるところです。 

 私は入隊と同時に北支に派遣されました。現在の済南です。北支で初年兵教育を受けながら戦闘にも参加しました。中隊単位で転戦していたのですが、三回目の部落に入ったとき手榴弾が投げ込まれ、たまたま私の側で爆発し、爆風で壁にたたきつけられました。その影響で現在でも右の耳の鼓膜が少し傷んでいます。 

 確か20年の1月頃でしたが本土防衛のため帰還命令がでました。そこで北支から貨車にのって北鮮の咸興に着き、咸興の港から本土に輸送される予定でした。ところが私たちの前の先発隊がアメリカの潜水艦によって二隻撃沈されたという情報が入りました。そこでもう少し様子を見ようということで咸興の小学校に分屯し、配船の順序を待っていました。

 そこでみなさんご存知ように8月15日に停戦の詔勅が下されたわけです。午後部隊長が部隊全員を集めまして。訓示をされました。部隊長は坪井大佐でした。早稲田の教官をしていた人格者の方でした。その部隊長から「私の目の黒いうちは、あなた方を必ず内地に連れて帰って親兄弟に渡すんだ」と力強い訓示がありました。

 訓示が終ってまもなくソ連の軍隊が進駐してきました。夕刻中隊長から武装解除の指示があり、段取りをしていました。われわれとしては率直に申しあげて、〝ああ助かったな″という感じがしたわけです。

 その訓示があった翌日の午前中に事件が起きたのです。坪井大佐が部隊長室でピストル自殺をされた。そこには手紙があり、「兵士のみなさんには申し訳ない…」と書いてありました。 

マイナス50度 錯乱状態に陥り死んだ友人

 それからシベリア抑留という厳しいつらい体験をすることになるのです。部隊長が亡くなって3日目ぐらいに、中隊ごとに、咸興から貨車に乗せられて、食糧らしきものはほとんどあてがわれず、朝は明太(スケトウダラ)一本、昼は黒バンー個、目的地も告げられず、10日程過ぎました。着いたところが現在のヴォロシーロフで、鉄条網で囲まれた兵舎に入れられました。そこの収容所長から「当分の間、日本軍の皆さんはここにおいて捕虜として抑留をする」と宣告されたのです。昭和20年9月から24年12月までのまる4年間シベリアの厳しい抑留生活を体験してきました。 

 軍隊生活はいろいろあったのですが、特にこのシベリアの4年間の抑留生活体験は非常に責重な体験であったと申しあげることができると思います。捕虜として道路人夫、左官屋、大工、炭坑夫等あらゆる重労働を体験しました。死ぬか生きるかという生活を4年間毎日続けたわけです。寒いときはマイナス50度ぐらいになります。捕虜のなかでも体力に応じて作業が振り分けられるのです。

 いろいろな作業を体験しましたが、なかでも1年間厳しい炭鉱の作業に従事しました。みなさんはほとんど経験がないと思いますが、炭鉱の仕事は非常に重労働です。シベリアの炭鉱は2~300m、深いところで500mぐらいです。入坑するときはエレベーターで降りるのですが、作業が終って出るときは、斜坑を歩いて出るのです。最初は脚の裏が突っ張り、ようやく地上にでてきても兵舎まで這って帰る状態です。

 この兵舎での食糧事情は、朝食がスープとパンが一切れです。ロシア語でゼリョーネという名前のスープです。名前はよいのですが、ホウレンソウのような青菜が入っていて塩で味をつけてあるだけです。量は飯盒の蓋で八分目ぐらいです。パンは200グラムぐらいです。お昼は、飯盒の3分の1ぐらいに米、大豆、麦など雑穀を炊いて塩で味をつけるだけです。夕食は雑炊なのです。これだけのカロリーで人間がはたして生きていくことができるのかどうか。人間生活としてはまさに最低の食糧生活であったわけです。したがって私の友人も栄養失調で何人か亡くなりました。

 その当時振り返っていちばん悲惨だったことは、麹町で同級生であった江川君が栄養失調になり亡くなったことです。彼は具合が悪いので医務室で寝ておりました。私は作業から帰ってくると毎日見舞いに行きました。栄養失調状態になると逆に胃腸が受けつけなくなるのです。最後にあまりにも体が衰弱しすぎ頭がおかしくなってしまいました。

 ある晩私が見舞いに行きましたら、江川君が背嚢を背負って廊下を這ってくるのですね。「おい!江川どうしたんだ!!」と言ったら、ふっと私の顔を見て、そのまま這って医務室のドアを開けて外にでていくのです。そして空を見上げて「あっこれで日本に帰れる!」という一言を最後にそこで亡くなってしまいました。 

過酷な坑木運搬 汗も涸れる わきの下の脂汗のみ

 このようなシベリアの厳しい抑留生活のなかで、私が特に苦しかったのは、一年間の炭鉱生活でした。私は学生時代スポーツをやっていましたので健康だと見られたのですね。坑木運搬の仕事をさせられたのです。炭鉱は石炭の層を掘っていくのですね。幅が5m、天井が3mぐらいの坑道を掘っていくのです。そこにトロッコの線路を敷設し、トロッコヘ石炭を入れ、エレベーターのあるところへ運ぶのです。掘った部分に落盤しないように坑木を鳥居型に組むのです。この坑木は、当時生の原木を使っていましたので1本120~150キロぐらいありました。その坑木を担ぎ50~60mの坑道を一日10本運ぶのが私のノルマでした。

 ところが一本140~150キロもある坑木を一日10本運ぶということはたいへんな作業なのです。長さは3~4mぐらいあります。その坑木の端を友人に持ってもらって、自分で肩を入れて担ぎ坑道の壁を頼りに先端の方へ運ぶのです。わずか50~60mの距離ですが、一本運ぶと、頭から足の先までびっしょり汗をかきます。帰りはくたくたになり汗を拭きながらまた帰ってくる。少し休んで二本目を担ぎ10~15mぐらい歩いた時点で腋の下から脂汗がすうっと流れます。一本運んだだけで体力を消耗しきって、汗が涸れきっているのです。恐らく経験をした方でないと、わからないと思います。 

 この4年間の厳しいシベリアの体験が後半の人間形成に大きな影響を与えました。したがって少々苦しいことがあっても自分はシベリアの四年間の厳しい苦しい辛い生活を経験してきたのだから、社会においてもどんなに苦しい場面があっても、乗り越えることが出来るのだという自信につながったと申しあげることができると思います。

食事と酒を飲ませてくれた友人の勧め

 昭和24年にシベリアから帰ってきまして、翌25年1月に大森にある沖電機の子会社に奉職いたしました。そのとき黒田君という同級生に会う機会がありました。彼は芝浦工業専門の土木の出身で、道路工事や宅地造成を専門に仕事をしており、非常に景気がよいのです。当時私は安月給取りですから、黒田君と会うと食事を御馳走してくれる、一杯飲ましてくれるということで、貴重な友人でした。実は黒田君がこれからの日本の復興について考えた場合、土木業は非常に忙しく人手がいくらあっても足りない-今後は、住宅建設の仕事をやったらどうかという話がございました。これが私が不動産業界に入った動機でございます。 

 大京観光の歴史を振り返りまして、次の四つの苦しい時期がありました。①創業時②昭和40年に、組織の見直しと社員教育に重点を置くことに伴って、社員の歩合給を廃止した③49年のオイルショック④57年の東京証券取引所の上場。

 現在不動産業界では、当社は売上では三井不動産に次いで二番目。経常利益では三菱地所、三井不動産に次いで三番目です。戦後の不動産業界で、大手の子会社以外はあまり成長しないという一般的な見方があったのです。当社が昭和57年に上場するまで約10年間同業種の上場はなかったのです。それほど不動産業界は厳しい時代でありました。以上の四つの苦しい時代に、どのような考え方いかなる戦術で乗り越えたかについて触れさせていただきます。

体力つける基礎となった別荘分譲 

 昭和34年、個人で大京商事を設立しました。その後約一年で株式会社大京商事にしました。個人で独立する前は、B社に勤めて課長職ということで勉強していました。昭和34年にいよいよ独立しようと決心いたしました。B社の社長さんにご相談をしたのです。「以前から考えていたように独立をしたい。わが国の経済、都市の復興について、とりわけ住宅問題に真剣に取り組んでみたい」このような相談をしましたところ。非常にご理解のある社長さんで「よろしい、あなたは独立しなさい」当時私の部下は7~8人いたのです。「あなたの課の部下をそのまま連れていきなさい」と言ってくれたのです。独立をするといってもたいした資本があるわけでもないし、自分で毎月貯めたごくわずかな資本と社員8名で池袋の東口でスタートしました。 

 当時の仕事の方法は現在と全く違うのですね。調査方法や販売方法にしても非常に幼稚な方法でした。たとえば調査についても、社員が一日町の不動産業者を10~15軒ぐらい歩いていい物件を探すという方法です。私は創業当初から住宅建設を事業計画の柱にしたいと考えていました。ところが住宅建設を行うにはかなりの資金量が必要であったのです。用地買収や住宅建設も思うようになかなか進みませんでした。

 当時池袋のロータリーの丁度向側に日の出信用組合がありました。そこの理事長さんが私に深い理解を示してくれました。会社発足の頃は私は朝7時には会社へ出て、夜11時までは働いていました。そのような状況を理事長さんが職員から聞いたり、自から見たり聞いたりして「なるほど大京の横山は仕事を一生懸命やっている。なんとか一つ応援してやろう」というようなことがございまして、微力だった大京商事について日の出信用組合の理事長が積極的に協力をして下さいました。お蔭様で仲介の仕事をやりながら、大泉学園や日吉で建売を始めるようになりました。当時は私自身が物件調査にも歩き、販売の先頭にたって指揮をとりました。考えようによってはその時代の仕事のほうがおもしろかったと言えます。

 昭和36~37年は池田首相の所得倍増計画が提唱され高度経済成長へとスタートしはじめた時期です。この時期にある会社が別荘地の販売を始めました。これが実に実績があがったのですね。われわれもいろいろな角度から検討をしてみました。将来おもしろいという感触を私はつかんだのです。37年から40年の四年間、別荘地に進出しました。特に38年には、白河のホテルを買収し、ホテルを中心にした別荘地販売を展開いたしました。

 最初の頃は、坪1,000~1,500円で上下水道をつけないで販売できたのですが、2~3年経過しますと、県の指導要綱として「上下水道を完備しなさい。道路もこのような条件にしなさい」という指導のもとに後半の別荘地の販売については、別荘地としての実需に即した別荘地開発を当社は行ってきました。この別荘地販売を通して、大京観光は非常に体力がついてきたと、はっきり申し上げることができると思います。

社員育成と組織作りに歩合給の廃止決断

 もちろん皆さん方は経営者として経営哲学があると思うのです。あくまでも個人商店として会社を経営していこうとする経営者の方もおります。一方企業として立派な組織を作り、立派な人材を育成し、企業として社会的な責任を果たしていきたいと考えている経営者の方もいらっしゃいます。

 実は昭和40年に、企業としての組織づくりと社員教育に大きな関心を持ったのです。このときの社員教育のもっとも大事な問題として歩合給の廃止の問題に取り組んだのです。当時歩合給の廃止を導入することは業界としては非常に冒険であったわけです。私は敢えて危険を承知で将来の社員の育成と組織づくりという問題に挑戦をしたのです。この時期がやはり厳しいときでもありました。腕のいい社員は、固定給だとつまらないから条件のいい会社へ移っていくのですね。しかし長期的にみますと、現在の大京観光の社員の育成、組織づくりに大きなプラスになってきたとはっきりと申しあげられると思います。

 なぜ歩合給がいけないか。歩合給で社員を雇用するということは、社員の立場に立って考える時、自分だけ高収入であればよいのですね。そこで消費者や会社の信用の問題は顧みられなくなります。それでは実質的に愛社心のある誠実な社員の育成はできないと考えたのです。 

 昭和43年には、赤坂でライオンズマンション第一号を発売しました。43年には大京商事と大京開発の事業を大京観光に統合いたしました。この年には草加で宅地造成と併せて建売事業も進めておりました。その後マンションの供給棟数が増えてくるにしたがってマンション管理の間題が重要になってまいりましたので、44年に大京管理を設立しました。45年の2月に大阪支店、5月に名古屋支店を開設し、11月には沖縄に大京カントリークラブもオープンしました。 

 45年6月には、千葉県のはまの台で113区画の宅地造成を行いました。46年11月には仙台支店、47年3月には横浜支店、12月に北海道支店を開設しました。48年4月には利根の白鷺の町で170区画の宅地造成と住宅建設がスタートしました。8月には千葉県の花見川で約300戸の住宅建設を行ない電々公社に納入いたしました。この間マンションも積極的に事業展開をはかりました。

オイルショックをばねに強力な販売力構築 

 みなさま方も厳しい経験をされたと思いますが、当社にとっても苦しい状況でした。金融の引締めにより事業計画が計画通り進まなくなりました。販売状況も低下いたしました。この時期に何を考えどう乗りきったかについて申しあげてみます。金融機関に当社の事業計画を正しく理解をしていただき確実な販売実績を挙げることを第一義と考えました。当時は、支店長サイドで金融機関との折衝をしておりました。ところがどうしても事業計画、金融面での話の調整がとれず支店長の言う通りにしていては、会社が行き詰まってしまいます。

 そこで私は金融機関の本部を訪ね副頭取に直接現状をご説明いたしました。当社は事業計画を推進するにあたって、どうしても資金が必要でした。反対に金融機関は貸出を引き締めていこうとする姿勢です。これでは意見は合いません。当時支店に優秀な次長さんがいました。その次長さんに私は夜10時、11時までじっくり計画をご説明いたしました。問題は事業計画を立てて、売れるか売れないかが問題なのです。確かに金融機関は売れない場合は資金負担が増えます。「私は必ず売ります」という立場にたって説明をし、副頭取にご理解をいただきました。

 さあ今度は約束通り売らなければいけません。販売方法については苦心をいたしました。現在の大京観光の強力な販売組織あるいは販売戦術は、当時の悪条件を背負って生まれてきたといっても過言ではないと思うのです。事業計画が一つ、二つ約束通り完遂されていきますと、ようやく金融機関の理解が得られるようになり、厳しいオイルショックをどうやら乗り越えることができたのです。 

 たとえば世田谷地区でマンション計画をたて、パンフレッ卜を持参し戸別訪問するときにも、私が現地へいって社員と一緒にパンフレッ卜を配布したこともあります。昨日もある地権者が「どうしても社長に会わせろ!社長にあわせなければ、最終的な条件は話しあわない」という話がありました。担当者が2年がかりで折衝したにもかかわらず打開されなかった問題について、私が直接話しあうことによってご了解をいただきました。私はいつでも、会社の難しい問題、苦しい事態に直面した場合は積極的に自分が出ていって問題に当たる決意を持っています。

 その後順調に推移し昭和53年には年間の供給量が約4,300戸になったのであります。事業主別の住宅供給量としては第一位の実績をつくることができました。この53年を契機に会社の事業計画を住宅供給部門、住宅流通部門、ビル事業部門の三本の柱に切り替えたのです。同時に将来の上場という問題に向って準備をしていこうと決意をしたのです。

 それから次年度の予算のたて方について、一つ申し上げます。たとえば販売計画は、各課、部を単位に下から予算を上げる制度を採るようにしました。したがって年間の販売計画は、役員の方から押しつけた事業計画、販売計画ではないのですね。社員の人達がよく相談した総意つまり下部組織から上がってくるのです。それをまとめて、年度の予算計画あるいは短期、中期の予算計画に組み直ししていく方式を採るようにしました。予算編成には、社員からの予算計画を尊重することが、事業計画の達成には非常に大事な問題であると考えています。 

 54年10月には新宿のライオンズホテルをオープンしました。11月には大京住宅流通センターを設立しました。55年1月、ライオンズマンションは400棟を達成しました。この年は約5,600戸供給しています。4月には資本金を9億6,450万円に増資しました。そして56年5月頃から幹事証券と上場の打合せを開始したのです。

資金調達と社員モラール向上 上場メリット 

 当社が上場するまでの10年間は不動産業種では上場がなかったために、非常に厳しい状況でした。しかも57年の業界自体もよい環境ではなかったのです。57年1月に上場申請書を提出しました。直ちに証券取引所の審査が開始されました。この審査が実に厳しい審査だったのです。とにかくいろいろな資料の提出が要求されます。3~4日も徹夜をして資料を整理しました。

 ともかくも57年1月から取引所との手続きは進んでいたのですが、当時住宅産業をとりまく環境が悪かったので当社の将来についても慎重な態度で審査がすすめられ、そのなかから資金効率の悪化とか契約率の低下といった難問題を指摘してきました。確かに資金効率が悪い、契約率が低下したとか問題点があるのです。小型のマンションは一年以内で竣工するのですが、大型化すると一年以内では竣工しません。

 資金効率を考える場合、一年でとらえるか一年を越えてとらえるかでは随分と違ってきます。私は竣工するまでの資金効率をグラフに変えたのです。企画部、事業部、営業部の幹部と一緒に夜を徹して作成しました。着工から竣工までの資金効率のグラフを全物件ごとに作り直しました。これを証券取引所に提出したのです。その結果、取引所にご理解をいただいたわけです。このような経過をたどって57年9月に東京証券取引所の第二部に上場することができました。

 上場につきましては、当初531万株を公募しまして、約70億円の資金調達ができました。更に58年9月には560万株の公募によりまして約180億円の資金調達ができました。そして今年の8月に国内で70億円、同時に海外でスイスフラン建で3,000万スイスフラン(約30億円)の転換社債を発行しました。上場することによって、現在まで約360億円の金利負担が比較的軽い資金調達ができました。これは上場によるメリッ卜です。

 また上場することによって社員のモラールが向上したことです。社員一人ひとりが自分は上場会社の社員であるという自覚と誇りを持って仕事をするようになったことです。同時に、情報量が極端に増えてきたことです。従来の5~6倍の情報量になりました。そして販売面においても、大京観光が東証一部に指定替えされたということで、購入者が安心感をいだくようになったことです。また有力企業との間で従業員向け販売の業務提携が積極的にできるようになりました。上場することによって企業の社会的な評価が高くなることによって、いろいろなメリットを得ることができます。

今後の不動産業界の動向はどうなるか

 それではみなさんが関心をもっておられる〝今後の不動産業界の動向はどうなるのだろうか″ということに触れさせていただきます。過去5年間の住宅供給の推移をみることによって、今後の5年間がどのように動いていくかだいたい推測できると思うのです。過去5年間の特徴を簡単に申しあげてみます。

 建築着工戸数は次のようになります。

 昭和55年 126万戸   

   56年 115万戸   

   57年 114万戸   

   58年 113万戸

 更にこの戸数の内訳を見ますと、分譲住宅の戸数は減少傾向にあります。しかし、一戸建は極端に戸数が下がってきていますが、マンションは総体的に需要は下がっていないと言うことができます。今後の5年間はどのような見通しになるかということです。マンションの供給戸数は順調に推移すると考えられます。それに関連して建築基準法の問題、都市計画法の問題、あるいは諸規制の緩和の問題があります。

(略)

 5年ごとに都市計画の見直しがあるということですね。今回は60年度が都市計画の見直しの時期にきているのです。また建設省の「建築審議会・建築行政部会・市街地環境分科会」においても建築基準法の見直しにも取組んでいます。更に民間活力導入の河本担当大臣も規制緩和に積極的に取組む姿勢を示しています。特に建築基準法の問題では、日影規制を地区的に外していこうとする動きが現在でているのです。

 住産協でも「建築基準法研究会」という組織をつくりました。第3回目の研究会では、第五二条の容積率を検討しました。その担当発表者である東高ハウスの井谷社長からアメリカのインセンティブ・ゾーニングの貴重な意見発表がなされました。いずれにしても、現状の総合設計制度、特定街区、市街地住宅総合設計制度にしましても日影規制の関連がありますと土地の有効利用ができないのです。現在東京23区の用途地域に決められた容積率は3分の1しか有効利用されていません。 

 ご承知のように住宅の価格が高いのは土地が高いからです。率直な例を申しあげます。容積率200%のところを400%にしますとマンションの価格が3分の1安くなります。2,400万円のマンションは1,600万円の価格になります。道路の巾員規準、第一種住専の高さ制限等についても、いろいろ注文をつけて積極的に都市計画の見直し、建築基準法の法改正にも取り組んでいこうという考え方でおります。私も建設省の三つの委員会の委員を引き受けて、従来にない積極的な発言をしています。委員のなかにはたんへん好感を持っている方と、たいへん迷惑をしている方と両方いらっしゃるのですね(笑)。良質で低廉な住宅を供給するためには、規制の緩和に積極的に取り組まなければいけないと考えています。

都市型の単身者の住宅供給をいかに考えるか 

 ワンルームマンションについてある時期、同マンションは悪であるというマスコミの報道があったのです。住産協では、ワンルームマンションの問題に積極的に取組みました。私はワンルームマンションについては悪であるとは考えていません。むしろ社会的なニーズを先取りした事業計画ではないか。ただしルールはあるのです。住産協としては、現地調査、入居者へのヒアリング、区分所有者のアンケート調査等に基づいて自主規制をつくりました。建設省でも高く評価しています。今後は新しい角度で業界としても考えなければならない。都市型の単身者の住宅供給をいかに考えるかという社会的な立場から、ワンルームマンションの問題を考えなければならない時期にきていると思うのです。

 最後に私の経営理念を少し申し上げてみます。現状としては四つの問題を考えています。 

 (一)社会のニーズの先取りをする。 

 (二)企業の社会的な使命を果たす 

 (三)社員の福祉の向上を目指す 

 (四)株主の利益を守る 

 21世紀は充足から充実の時代に移行するであろうという考え方のもとに、みなさんと足並を揃えて一生懸命仕事に励んで行きたいと思っております。最近私はゴルフをやっているのですが、なかなか進歩しない。理由をいろいろ考えてみますと、上述した四つの経営理念を誠実に果たしているからではないかと…(笑)。

 たいへん雑駁なお話ですが、長時間ご清聴ありがとうございました。               

(拍手)

横山修二氏が死去「スケールの大きい方だった 夢を語った」安倍徹夫氏が追悼文

巨星消える 木下長志氏に続き大京創業者、横山修二氏が死去 92歳

元大京専務 木原稔氏 マンションの顧客主義を語る

 

 

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 昨日(8月6日)、不動産流通経営協会(FRK)の住宅ローン控除制度の面積要件「50㎡以上」を「40㎡以上」に引き下げるよう2019年度の税制改正要望に盛り込んだことに賛意を示す記事を書いたら、早速、来年度の税制改正では見送られそうだという情報が入った。大都市優遇のそしりを受けかねないというのがその理由のようだ。

 しかし、面積要件はむしろ大都市居住者を冷遇する、差別するむごい措置だ。あらゆる指標がそれを物語っている。

 昨日も書いたが、東京都の誘導居住面積以上は40.0%で、全国平均の56.6%を大きく下回っている。大阪府の約100万戸ある民営借家(非木造)の26.5%は最低居住面積以下だ。

 公営住宅の家賃も多くの県が1㎡当たりせいぜい千数百円なのに対し、東京都は約3,500円で3倍近くし、神奈川、千葉、埼玉、大阪、愛知などは2,000円以上している。

 これまた昨日も指摘したが、杉並区永福、荒川区東日暮里などの「セーフティネット住宅」ではトイレも洗面も台所もない7㎡のワンルームの家賃が7.5万円(坪3.6万円)もし、杉並区永福でも坪3.1万円、足立区西新井、荒川区柴又でも2.7万円というのがある。記者は恐怖を覚えた。

 賃貸だけでない。分譲マンションも、都内23区では軒並み坪300万円を突破してきており、20坪(66)でも世帯年収の10倍を超える。郊外でも、20坪で3,000万円以下は絶望的になりつつある。保育園の送迎を考えると、子育てファミリーは都心勤務が難しくなりつつあり、職業選択の面でも不利益を被っている。

 もうこれ以上書かないが、かといって大都市居住者の所得が地方の2倍、3倍あるかと言えばそういうことはなく、生活保護受給率は大阪を筆頭に、福岡、京都、東京、兵庫、神奈川、広島などは全国平均を上回る。

 それでも大都市居住者はけなげに生きている。出生数は言うまでもなく、出生率も全国平均を上回っているところが多い。分譲戸建てといえば、まるで長屋のような〝猫の額〟の庭もない住宅で我慢し、子だくさんのファミリーは70㎡の4LDKマンションを求めているのが現状だ。

 来年度の税制改正では住まい給付金制度でお茶を濁すことになりそうだが、このままでは大都市圏の子育て世帯は労働と育児に疲れ果て、劣悪な賃貸から脱出することもかなわず、まさに〝生かさぬよう殺さぬよう〟の江戸時代に逆戻りするのではないか。いや、江戸時代の庶民はもっと豊かだったかもしれないし、お上にたてつく元気もあった。平成の〝労働者一揆〟はないのか。

不動産流通経営協会 住宅ローン控除の面積要件引き下げ要求に賛成 住宅貧乏なくせ(2018/8/6)

 

 

 

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新TVCF「夫は語る(リハウス後)」篇

 三井不動産リアルティ8月11日(土) から「三井のリハウス」の新TVCF「夫は語る(リハウス後)」篇を全国で放映する。

 今年5月に放映したTVCFの第二弾で、前回と同様、親子の〝近居〟をテーマに、「先立った夫」役に笹野高史さん、「夫に先立たれた妻」役に酒井和歌子さん、「娘」役に蓮佛美沙子さんを起用。コミカルなセリフと演技でストーリーに一層の温もりを与えているのが特徴。

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「板橋駅板橋口一体開発事業」

 野村不動産は8月6日、板橋区と東日本旅客鉄道が推進する「板橋駅板橋口一体開発事業」に共同施行予定者として選定されたと発表した。

 計画は、JR下橋駅前の板橋区板橋一丁目、敷地面積約3,880㎡、地下3階・地上35階建て延床面積約53,000㎡。主要用途は商業施設、公益施設、住宅施設、駐車場。

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「(仮称)市川塩浜物流施設開発計画」

 三井不動産は8月6日、千葉県市川市塩浜の物流施設「(仮称)市川塩浜物流施設開発計画」へ参画すると発表した。月島機械の市川工場移設後の土地の有効活用を図るもの。

同社の物流施設は、今回の計画も含め開発中施設が15棟となり、稼働中の18棟と合わせ33棟、総延床面積は約290万㎡となる。

施設は、首都高速湾岸線浦安ICから約6.2㎞、敷地面積約82,600㎡、地上4階建て延床面積約183,800㎡。着工予定は2020 年冬、竣工予定は2022 年冬。

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 不動産流通経営協会(FRK)が発行する「FRKコミュニケーション」2018年夏季号に掲載されている「論点1 50㎡未満の持家の居住満足度は低くなく、住宅購入は婚姻・出産への実現意欲を後押しする可能性がある」を興味深く読んだ。

 全国主要都市を対象とした50㎡未満住宅の居住満足度とライフスタイル影響に関する同協会の調査結果では、「50㎡を境とした持家の居住満足度に統計的に大きな差はみられない」ことから、「税制上の措置を50㎡で区分する根拠が明確でない」とし、「経済力に限界がある若年層の住宅取得を後押しするためには、一定のニーズが存在する50㎡未満の住宅に対して税制上の措置を拡大することにより、一次取得時のハードルを低くすることが有効であり、そのことは持家率の上昇をもたらし、結婚や出産の意欲を高める効果が拡大するとも考えられ、そして、それは居住満足度、社会厚生という観点からも、十分合理性がある施策と言えよう」と結論付けている。

 FRKは、2019年度の税制改正要望に住宅ローン控除の床面積要件を現行の50㎡から40㎡に引き下げることを盛り込んだ。

◇       ◆     ◇

 「論点1」の順序プロビット分析による居住満足度指数が面白い。居住満足度を「1:非常に不満」から「10:非常に満足」まで10段階で回答を得た結果、平均は6.47で、持家は7.05で、賃貸は6.03となっている。

 持家でもっとも満足度が高いのは居住面積が「120㎡以上~150㎡未満」で指数が0.530であるのに対し、もっとも低い「20㎡以上~30㎡未満」は0.071となっており、大きな隔たりがある。

 一方、「40㎡以上~50㎡未満」は0.340であるのに対し、「50㎡以上~60㎡未満」は0.338とほとんど差がなく、FRKの主張を裏付けている。

 他方、「150㎡以上~200㎡未満」は0.426になり、「120㎡以上~150㎡未満」より0.104低くなる。その理由は示されていないが、広すぎると掃除や管理などでストレスがたまるということか。

◇       ◆     ◇

 記者は、基本的には住宅ローン減税制度などに面積要件を加えることに反対だ。

 そもそも昭和47年度からスタートした「住宅取得控除制度」には、床面積に応じた控除額ではあったが、具体的な面積要件はなかった。面積要件が加わったのは昭和55年の税制改正からで、既存住宅について下限が「40㎡」と定められた。

 そして、平成5年の税制改正で新築も含め「50㎡以上」という面積要件が加わった。これ以降、「50㎡」は、住宅購入資金の贈与税の特例、登録免許税の特例、不動産取得税の特例などあらゆる税制に採用されることとなった。

 当時も今も、この「40㎡」「50㎡」について合理的な理由・説明を行える人を記者は寡聞にして知らない。

 常識的に考えられるのは、融資する側からすれば狭小=劣悪=担保価値がないと考えるのは当然で、狭小=価格が低い=年収が低く貸し倒れリスクが高まると判断し、審査に慎重になるのもまた理解できる。

 もう一つ、強いてあげるなら、平成18年に施行された住生活基本法の「新たな住生活基本計画」の数値がある。

 同計画では、子育て世帯の「誘導居住面積」(都市型3人世帯:75㎡、4人世帯:95㎡)達成率を37%⇒50%に、「最低居住面積」(3人世帯:35㎡、4人世帯:45㎡)未満率を早期に解消するとしている。

 参考までに東京都の例を示すと、平成25年の最低居住面積以上は79.0%(全国90.2%)で、誘導居住面積以上は40.0%(同56.6%)となっている。最近の地価・建設費の上昇で、この数値が劇的に向上したとは考えられず、むしろ後退しているのではと思われる。

 こうした政策目標がある以上、住宅ローン減税制度などに一定の面積要件を付加すべきという考えも成り立つ。

 だがしかし、FRK「論点1」が指摘するように住宅ローン減税制度などの面積要件が「一次取得時のハードル」を高くし、最低居住水準や誘導居住水準以下の世帯の住宅取得意欲を減殺するように働いていることは否定できない。

 そしてまた、どれほどの効果かは分からないが、FRK「論点1」が論じる面積要件の引き下げが「持家率の上昇をもたらし、結婚や出産の意欲を高める効果」があるのも間違いないと思われる。

 それより何より、面積要件は日本国憲法の「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」(第14条)「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」(第25条)に背馳していると考える。

 税の透明性、公平性についていえば、「租税特別措置の適用状況の透明化等に関する法律(租特透明化法)」(平成22年成立)の目的には「租税特別措置について、その適用状況の透明化を図るとともに、適宜、適切な見直しを推進し、もって国民が納得できる公平で透明性の高い税制の確立に寄与する」とある。

 住宅基本法にも「政府は、住生活の安定の確保及び向上の促進に関する施策を実施するために必要な法制上、財政上又は金融上の措置その他の措置を講じなければならない」(第10条)とある。

 税の公平性からいっても、住生活の安定確保の観点からいっても、面積要件を取り払い、逆に子どもや高齢者・要介護者などの家族数に応じて控除額・控除率を引き上げるべきだと考える。

◇       ◆     ◇

 フラット35(前住宅金融公庫融資制度)の面積要件について。住宅金融支援機構は平成16年4月、床面積の融資条件を50㎡から30㎡に引き下げた。

 これは、バブル崩壊後の平成7~8年ころから単身者のマンション購入が増え始め、デベロッパーも積極的に単身者・DINKS向け商品を分譲するようになり、金融機関も女性のマンション購入をバックアップするようになり、新たなマーケットとなった時代背景がある。記者もこれを全面的に支持した。

 融資条件を引き下げたことによりリスク管理債権が増加したとも聞かないし、年々既往債権が減少していることから、リスク管理債権比率は減少し続けており、2017年度は3.94%で、同23年度の7.80%より3.86ポイント改善している。

 住宅ローン控除の面積要件を取り払うか、引き下げてもリスク管理債権が増加するとも考えられないのではないか。

◇       ◆     ◇

 住宅ローン控除制度とは直接関係ないが、いかにわが国の住生活が貧困であるかの例を示す。

 平成29年10月に施行された高齢者、低額所得者、子育て世帯などの住宅確保要配慮者の入居を拒まない賃貸住宅登録制度「新たな住宅セーフティネット制度」が始まり、登録物件が閲覧できるようになっている。

 現在、全国で129件1,170戸が登録されている。もっとも多いのが大阪府で459戸で東京都は167戸だ。

 都内の足立区西新井駅から徒歩14分の築1年.6カ月のトイレも洗面も台所もないワンルーム(7㎡)は3.3万円(坪約1.6万円)で、子育て用は11件あり、高尾駅からバス25分の築31年の2K(31㎡)は4.3万円(坪約4,600円)だ。

 記者は賃貸のことはよく分からないのだが、西新井の物件はべらぼうに高く、都心の一等地並みの単価ではないか。高尾の物件も交通便と居住面積などを考えると賃料は安くない。

 これが「高齢者、低所得者(生活保護世帯)、子育て世帯の入居を拒まない」賃貸住宅の実態だとすれば、分譲と比較して相対的に質が劣る賃貸に住まざるを得ない低所得者などは救われない。住宅取得は夢物語でしかない。

 厚労省の平成28年「国民生活基礎調査」によると、「児童のいる世帯」所得は739万8千円で、ここ数年回復傾向にはあるが、ピークだった平成8年の781.5万円には回復していない。しかも、若年層の非正規雇用が増大し、雇用不安があるためか、「児童のいる世帯」の58.7%が「生活が苦しい」「大変苦しい」「やや苦しい」と答えている。

 「住宅貧乏物語」(岩波新書)を著した建築学者・早川和夫氏が先月亡くなった。享年86歳。

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 東急不動産ホールディングスと東急ホームズは8月3日、木造老朽賃貸アパートをIoT標準装備の最新型賃貸アパートにリフォームする「賃貸アパート応援プロジェクト」サービスを8月25日から首都圏で開始すると発表した。

 リフォームは定価制フルリフォームとし、耐震・断熱・遮音改修を行い、内外装・水回り設備を一新し、床面積と間取りで価格を決める。

 設備機器では最新のIoT機器を採用。イッツ・コミュニケーションズが提供するインターネットサービスと「インテリジェントホーム」の機器(スマートスピーカー、スマートロック、ドア・窓センサー、家電コントローラー)を設置する。

 現在、東京都内の賃貸用空き家は約64万戸を超えるとも言われ、その多くが建物の老朽化と所有者の高齢化が進み、有効な対策を講じづらくなっていることに着目し、東急ホームズの55万件以上のリフォーム実績をもとに、「定価制フルリフォーム」を施し、オーナーのリスクを低減する「無担保ローン」+「一括借上」を一体としたサービスを提供し、競争力のあるアパートに再生するのが狙い。

 リフォーム事例として、築45年の1K・8部屋(約120㎡)を2LDK・2部屋(リフォーム費用2,100万円)にし、従前の賃貸収入99,000円(空き4室)から賃料250,000円(一括借り上げの場合225,000円)に再生し、ローン返済額、諸経費を除いて実収入が10万円/月になった都内の木造アパートを紹介している。

 

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