〝オールスターツ〟「QUWON(クオン)新浦安」始動 新浦安ブランド回復のシンボル
「QUWON(クオン)新浦安」
〝オールスターツ〟のビッグプロジェクト、「QUWON(クオン)新浦安」が始動した。50,000㎡超の第一種低層住居専用地域に、同社グループを始めとする民間グループ、浦安市、明海大学などが連携して防災に強い街づくり、高齢社会対応、子育て支援の強化などの課題を解決し、地域ブランドの回復を目指す事業だ。「QUWON(クオン)新浦安」はその第一弾の4階建て全170戸の免震マンション。
物件は、JR京葉線新浦安駅から徒歩15分、千葉県浦安市明海二丁目の第一種低層住居専用地域に位置する開発面積約51,000㎡の一角に建つ4階建て全170戸。現在分譲中の住戸(9戸)の専有面積は75.87~129.88㎡、価格は5,058万〜11,698万円。坪単価は260万円。竣工予定は平成30年7月下旬。設計は日建ハウジングシステム・スターツCAM、施工はスターツCAM・(液状化対策工事)竹中土木、管理はスターツアメニティー、売主はスターツコーポレーション、売主・販売代理はスターツデベロップメント。
開発地には同マンションのほかに戸建(90区画)、保育園、高齢者ケア施設が予定されている。
7月から第1期60戸の分譲が始まっており、マンションギャラリーのチーフアドバイザー・佐藤勇介氏は「当社初のオールスターツの物件。売れ行きは順調。当社グループのホテルエミオン東京ベイが格安で泊まれるサービスも好評。戸建てとの近居を考えているお客さんもいる」と話している。震災時の被害についてはほとんどの来場者がよく知っているという。
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同社は売上高1,808億円(2017年3月期連結実績)、従業員数7,401名(2017年4月末現在)の大きな会社だが、記者が取材を始めた1980年代は江戸川区のあまたある不動産屋に過ぎなかった。「千曲不動産」という商号だった。
同社がマンションを積極的に分譲しだしたのは1990年代だと記憶しているが、驚愕したのはユニバーサルデザインをテーマにした2000年竣工の「アルファグランデ市川本八幡」(217戸)だった。駅から徒歩19分の絶望的な立地だったが、ものの見事に早期完売した。記者は、この物件を真っ先に「ベスト3マンション」に選んだ。企画を担当したのはスターツデベロップメント社長・市村義和氏だったはずだ。
あれから約20年。今回のマンションを取材して、地域密着に徹し愚直に住まいのあり方を追求してきた企業姿勢が社会から評価されたのだろうと改めて認識した。同社は2001年から賃貸住宅の免震化を進めてきたが、これまでの施工件数は389棟9,381戸にのぼり、日本一の数だという。すごい数字だ。
今回のプロジェクトの用地取得は震災前だった。震災後、新浦安ブランドは地に落ちた。そこで同社は一から企画を練り直した。地盤改良の解析と工事のために約1年、24億円を投じた。そして敷地内に18,000本の砂杭を打ち、さらに敷地外周部に2,280本の杭を打っている。4棟のマンションもすべて免震工法を採用している。
設計-施工-販売-管理まですべて同社グループが主導する〝オールスターツ〟物件だが、ここに同社の意気込みがうかがわれる。浦安と新浦安の同社グループの拠点を中心に約3,200戸の管理戸数がある。本拠地の一つだ。万全の安全対策を施すことが信頼につながると判断したに違いない。
住戸プランは、市の規制が厳しいので広めの住戸が多いのは当然だが、間口は最低でも6400ミリ最大9000ミリ、サッシ高2200ミリ、バルコニーの奥行き最大3m、メーターモジュールの廊下幅など千葉県の物件ではまず過去に例がないレベルの高さだ。
坪単価について。新浦安駅から徒歩15分で坪260万円は高いか安いか、これはユーザーが判断することだ。これ以上書かないが、〝安心・安全〟を価格に換算したら、この値段では絶対に供給できないということだけは確かだ。
あの時から6年振りに新浦安を訪れたが、あの痕跡をほとんど見つけることができなかった。新浦安ブランドが文字通り一新されることを願う。
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「おーお明治」大学の誇り 百瀬恵夫名誉教授の「瑞宝中綬章」受章を祝う会に300名
〝白雲なびく駿河台…おーお、明治〟百瀬恵夫・明大名誉教授の受賞を祝う会(京王プラザホテルで)
百瀬氏と幸子夫人
明治大学名誉教授の百瀬恵夫氏(82)が今年の春の叙勲で「瑞宝中綬章」を受章したことを祝う会が7月28日、都内のホテルで行われ関係者約300名が参加した。
「瑞宝章」は公務などに長年にわたり従事し、成績を挙げた人に贈られるもので、百瀬氏は明大教授としての「教育研究功労」のほかに、中小企業の育成と協同組合の理論的支柱として実践に携わり、さらに沖縄泡盛の酒造協同組合の設立などにも深くかかわったことなどに対する「沖縄産業振興功労」の功労に対して綬章した。
百瀬氏は、受章の喜びを「感無量」とし、「私の沖縄への思い入れは、特攻隊員として沖縄戦に参加し、捕虜になりながら生き残った兄の悲しみと、その兄に注いでくださった沖縄の方たちの限りない愛情に対する恩返し」などと語った。
当日は、明大卒で元内閣総理大臣・村山富市氏や明大理事長・柳谷孝氏、同学長・土屋恵一郎氏、同校友会会長・向殿政男氏、明大時代の同級生で元衆議院議員・元厚生労働省副大臣・中野清氏など明大関係者のほか、百瀬氏の幅広い活動を示すように内閣府沖縄振興局長・槌谷裕司氏、明大卒で台湾 環球科技大学の創設者・許文志氏、協同組合ジェプラ理事長・大木勝志氏なども参加。
発起人を代表して明大常勤理事で明大政治経済学部教授・飯田和人氏と明大評議員会議長で明治大学校友会相談役・山口政廣氏が挨拶した。沖縄県知事・翁長雄志氏からのメッセージも届いた。
このほか、百瀬氏が会長として30数年間、継続して毎月1回「例会」を行っている「中小企業研究会」や、沖縄の自然保護、環境保全及び自然と人間との調和が全てに優先することを基本理念に掲げ、勉強会を行っているNPO法人OSI(沖縄環境・観光産業研究会)、さらに明大体育会柔道部明柔会(OB会)名誉顧問、明大マンドリンOB倶楽部最高顧問などを務めていることなどから各界から多くの関係者が参加した。
百瀬氏は、明大マンドリンOB倶楽部の生演奏が行われる中、ほとんどすべての参加者の席を回り、ともに受章の喜びを分かち合った。
参加者には記念品として、百瀬先生と篠原勲氏との共著「明大魂と人間力」、先生が作詞された「もののふ」「沖縄讃歌」のCD、川越菓匠「くらづくり本舗」の菊の紋章入りどら焼き、先生直筆「道」のオリジナルラベルの10年古酒泡盛「海乃邦」が贈られた。
会場で披露された「瑞宝中綬章」額装
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百瀬氏は来賓各氏からのお祝いの言葉を受けて、次のようなお礼の言葉を述べた。
「感無量でございます。言葉になりません。本当にありがとうございます。もっとも尊敬申し上げている村山先生、怪我にも関わらず駆け付けてくださいまして本当にありがとうございます。皆さんにも心からお礼申し上げます」
「私は長野県松本の生まれであります。9男2女の11人兄弟です。村山先生のご兄弟の数と一緒だと思います。
私が5歳の時父親を、15歳のとき母親を亡くしました。(百瀬家は素封家だったそうだが、家計が一挙に苦しくなり)以来、私は高校も大学もいわゆる苦学生になりました。
その中で守ってきたのは『人様に迷惑をかけるな、他人から後ろ指をさされるようなことはするな、教育が全て』という母親の教えでした。
松本出身のわたしがどうして沖縄に力を入れるのか、たくさん質問がございます。その理由を少しだけお話しさせていただきます。
私の5番目の兄は沖縄戦の終戦の直前(昭和19年)、沖縄に特攻隊員として行きました。『震洋』というベニア板で作られた一人乗りの魚雷艇に魚雷を積んで特攻攻撃をしました。
幸か不幸か、その当時は他にもたくさんあったようですがエンジンの故障で『震洋』は不発となり、兄は米軍の捕虜、いわゆるPW(Prisoner of War)になりました。
兄は、戦時下の沖縄を目の当たりにし、『沖縄の人たちは自分が生きるだけで精いっぱいなのに軍人にも一生懸命尽くしてくれた。このご恩は忘れられない。恵夫も何か沖縄の役に立ったらどうか』といつも聞かされていました。
41年前、沖縄から講演の依頼がございました。私の専門は中小企業と協同組合研究ですが、沖縄(の会社)は99.9%中小企業、零細企業です。この沖縄の中小企業を救うのが私の使命と固く決意し、この30年間、ここ10年間はやや少なくなりましたが、毎月のように沖縄に参りました。
わたしの沖縄への思い入れは、兄の悲しさと、沖縄の方々の限りない愛情に対するご恩返しだと思っているからであります。このことを評価してくださったのが内閣府の槌谷局長です」
続いて百瀬氏は家族についても次のように語った。
「家内は同級生であります。結婚する相手は同級生が一番いい。当たりはずれがないのです(爆笑)。私は的を外しません。私みたいな人間をうまく操縦してくれたのは女房です。皆さんご存知のように、私はやりたい放題をやってきましたが、女房の言うことだけは聞く。女房にとても感謝しています。
私には2人娘がいます。婿が2人、孫が3人。すべて教職についています。家内も教職についておりましたので、家族は二人の背中を見て育っています。
これまでただ一つ、きつくみんなに言ってきたのは時間を守れということです。時間を守れない人間は約束を守らないと。これが私です。
これからの残された人生は「利他」の言葉がありますが、人さまの役に立ちたい、ご鞭撻を賜り頑張ってまいります」
百瀬氏
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以下、百瀬氏の叙勲を祝う来賓各氏のあいさつ。
乾杯の音頭を取った北野大氏と司会を務めた松永二三男氏(元日テレアナウンサー)
明大政治経済学部教授・飯田和人氏 先生の今回の受章は中小企業とその協同組合の育成、沖縄の産業振興に貢献されたことに対する内閣府の推薦と長年の教育研究に尽力されたことに対する文科省からの推薦という2つの省からの推薦によるものです。
私は8人の発起人の一人で、先生の後輩であります。今回の祝賀会には大学の最高決定機関から中小企業関係団体まで幅広い様々な分野の方々がいらっしゃいますが、大学の柔道部やマンドリンクラブなどスポーツ・文化分野からも大勢の方がいらっしゃっています。先生が様々な分野で指導力を発揮されたことが参加者の顔ぶれからもよくわかります。
飯田氏
明治大学評議員会議長・明治大学校友会相談役・山口政廣氏 先生は余分なことを話されない。単刀直入、ズバリと要所を指摘される。本質、核心をついた言葉をしかも心を込めて話される。
この先生のお人柄と姿勢にわれわれが教えられてきた。
山口氏
元内閣総理大臣・村山富市氏 (車椅子から杖を突いて立ち上がり)こういうぶざまな格好で申し訳ございません。1週間前まではぴんぴんしていましたが、元気を出しすぎて踵を骨折してしまった。
百瀬先生は大変ユニークな方で、私も評議員会などでお会いするのを楽しみにしていた。いつも遠慮なく発言されていた。その言葉に敬意を払っていた。なくてはならない存在。これからも大学、社会のために活躍していただきたい。
村山氏
内閣府沖縄振興局長・槌谷裕司氏 先生の教育研究の功績は山ほどあるようですが、(これまで受章されなかったのは)勤続年数が足りなかったということのようです。いかにもお役所的と言われそうですが、そこで我々内閣府は文科省にお口添えをいただき、それなりに忖度いたしまして、一計を案じて今回の受章につながったわけでございます。
今年は沖縄復帰45周年の節目の年ですが、叙勲が間にあったことと、宮中で今上陛下に叙勲者代表としてお礼の言葉を言上されたことをともに喜びあいたいと思います。沖縄の地場産業の育成や泡盛の普及などに尽力された。先生は沖縄版アベノミクスだと思います。
ここで一句。「恵夫飲む クースで広がる 好景気」
槌谷氏
沖縄県知事・翁長雄志氏(代理 沖縄県東京事務所長・比嘉徳和氏代読) 知事は岩手県の全国知事会議に出席のため、私が熱いメッセージを預かりましたので代読させていただきます。
先生は沖縄県の中小企業の発展、とりわけ生コン業界の経営に対する指導、助言に多大な尽力をされました。
また、県の重要な地場産業である泡盛の普及のため紺碧会の会長を長年務められ、在京県人会ネットワークの構築にも多大な貢献をされております。
今回の綬章はご自身の栄誉であることはもちろんのこと、県民関係者の誇りでもあります。深く敬意を表するとともに心からお祝い申し上げます。
今後とも高い見識と豊かな経験を生かし、後進の育成と県勢の発展にご支援賜りますようお願いいたします。
比嘉氏
明大理事長・柳谷孝氏 叙勲の記念品の一つとして渡されている篠原勲先生と百瀬先生の共著「明大魂と人間力」(第三企画出版)を拝読いたしましたが、キーワードであるオンリーワン、モノノフ、武士道精神は実は先生の人生そのもの。国内外の明大の講演などのゲストとして依頼が多いベスト3を私の独断と偏見で選べば、まず百瀬先生、次に北野大先生、そして土屋学長と言いたいのですが、土屋学長は公務でありますので除外しますと、マンドリンOB倶楽部であります。
先生の古武士然とした姿が大好評でして、そして「筋を通せ」「卑怯を許すな」「悪いことは悪い、正しいことは正しい」「覚悟を持て」というメッセージが共感を呼ぶのであります。
先生にはこれからも明大の建学の精神を未来に引き継いでいただきたい。
柳谷氏
明大学長・土屋恵一郎氏 昨日、800名くらい入る明大リバティホールで坂東玉三郎さんと対談したのですが、坂東さんと百瀬先生は共通するものがある。そこにいるだけで花がある、存在感があるということです。これほど存在感がある人は先生を除いていません。
先生と私は悪縁の関係。私は法学部出身、先生は政経学部。学内では法学部と政経学部はいつも選挙などで反対側にいる。先生の悪口をいうとわっと沸くのです。
ところが先生は私のことを気に入ってくれているようでありまして、悪口を言わない。私の名前は「恵一郎」ですが、先生は「恵夫」。先生は「土屋はいいやつだ。恵という字がついている人間には悪人はいない」とおっしゃる。ご自分のことだろうと思うんですが(笑)。
歳を経るごとに人間の花を咲かせる、これが誠の花です。男ここにあり、それが先生です。皆さんとご一緒に確認しましょう。
土屋氏
明大校友会会長・向殿政男氏 私の名前は「向殿」ですが、先生は〝バカ殿〟と呼ばれる。実に口が悪い。しかし、先生ほど信念を持っていらっしゃる方は明大にいません。言いづらいことを平気で言う。度胸がある。これは信念がないとできないことです。
先生がお書きになった本にも「人間力」が出てきますが、無骨でもいい、迎合しない、正しいことは正しいとはっきり言う、これが明大の精神です。これを先生は体現されている。これからも明治の柱として頑張っていただきたいと思います。
向殿氏
元衆議院議員・元厚生労働省副大臣・中野清氏(明大時代の同級生) 先生は私の生涯の誇りであります。先生には市会、県会、国会議員として38年間、先生のお世話になった。特に中小企業政策、金融政策について大きな教えをいただいた。以前の金融政策論は貸し手側から書いたものばかりでした。例えば銀行。天気のいいときは金を貸すが、雨が降れば傘を取り上げる、そんな金融行政は間違いだと先生はおっしゃった。借り手側から考えないといけないと仕込んでいただいた。改めてお礼を申し上げたい。
余談ですが、私の長男は明治に入れなくて他に入ったのですが、孫がやっと法学部に入れてもらった(爆笑)。
中野氏
台湾 環球科技大学の創設者・許文志氏 百瀬先生と伊藤(正昭)先生は私の恩師です。百瀬先生は1960年代以降の台湾の発展に大きな影響を与えられました。2004年以降、324名の学生がマスターコースで百瀬先生と伊藤先生の講義を受け、683名の東南アジアの国際学生が講義を受けました。
もう一つ、2005年から今日まで台湾の5カ所で明大マンドリンOB倶楽部の演奏会が行われました。これは台湾の音楽史に残る珍しいものです。
先生は日本と台湾をつなぐ経済・教育・文化の民間大使です。
許氏
協同組合ジェプラ理事長・大木勝志氏 先生に1987年(昭和62年)、包装資材ディーラーの協同組合ジェプラ設立時に顧問として参画していただいてから30有余年。売上高は当時300億円から現在700億円の企業体になり、数年前の株式会社設立へと至っています。これが先生の指導の証です。
人間力を基盤に相互扶助の精神をど真ん中に据え、会員の人格を尊重し、組合の経済的、社会的地位の向上を目指してきました。われわれは中小企業と協同組織のシンボルだと自負しております。
先生を長年観察しております私の「人間・百瀬恵夫」像を一言で言わせていただければ、学者の域を超越しているということです。
「バカヤロウ」の毒舌の裏にはものごとへの確信と人への愛、思いやり、心配りがあります。文武両道、行動力と実行力、徹底した現場主義は高邁な理論の裏付けがあります。さらに付け加えるなら、一線は超えないが女性が泡盛と同じくらい大好き-こんな人は先生以外いません。「人間力」そのものです。
大木氏
第三企画社長・RBAインターナショナル会長・久米信廣氏(中締め挨拶) 先生は多くの俊秀を育てていらっしゃいましたが、私は俊秀でも何でもありません。しかしながら、私は先生の弟子の一人として、先生を思う気持ちにおいては人後に落ちないと自負しております。
先日、先生から(文化勲章受賞者)平櫛田中の書の扁額を頂戴しました。『今やらねば いつできる、わしがやらねば だれがやる』という言葉が書かれています。先生からの叱咤激励の声そのものであり、ありがたく頂戴いたしました。そのとき、先生から『平櫛田中の旧姓は〝たなか〟。平櫛家に養子に入ったとき、旧姓を取り入れて田中と名乗った』というお話しもお聞きしました。そこで、『私は先生の養子ではありませんが、百瀬久米(きゅうべい)と名乗らせてください」とお願いしました。田中をでんちゅうとしたように、久米をきゅうべいと読み直したのですが、先生はこころよくご了承くださいました。本当にありがとうございます。
私は先生の最後の弟子を自認しております。最後というのは『今現在も弟子であり続けて教えを受けている』という意味であります。
久米氏
明大 柔道部 メダリストも勢ぞろい
〝文武両道 全うできたのは先生のおかげ〟吉田氏
左から園田氏、百瀬氏、小川氏
左から小川氏、吉田氏、海老沼氏
百瀬氏受賞に花添える明大マンドリンOB倶楽部
古賀メロディーなど1時間近く熱演
女性にも人気〝でも一戦も交えておりません〟
〝はい、バター〟〝はい、チーズ〟〝はい、キムチー〟
「感謝の言葉以外ございません」幸子夫人
百瀬氏ご家族の皆さん
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百瀬氏はお礼のあいさつで〝兄の悲しみ〟〝沖縄の人への恩返し〟を語った。兄の悲しみとは戦争に対する憎しみであり、怒りだ。沖縄への恩返しとは、沖縄戦で14万人もの民間犠牲者を出し、その後も様々な犠牲・格差を強いられてきた不公平に対する憤りであり、社会的弱者に対する愛だ。
以下、2005年(平成17年)2月7日発行の「RBAタイムズ」百瀬恵夫特集号の1部を紹介する。
百瀬教授を沖縄に駆り立てる愛と憎しみ
「生きて虜囚の辱めを受けた」兄への複雑な想い
百瀬氏を沖縄に駆り立てるのは「生きて虜囚の辱めを受けた」実兄(87)への複雑な想いだ。一言でいえば、戦争に対する憎しみと肉親への愛だ。
お兄さんは、日本軍の敗色が濃厚だった昭和19年、命と引き換えに米軍艦に突撃する魚雷艇・震洋の搭乗員として死地の旅についた。
ところが、当時の日本軍の魚雷艇はベニア板製で、エンジンの性能も低く、事故や誤爆で本来の目的を達成できたものは少なかった。成功率は1割で、死亡率は9割と言われている。お兄さんの魚雷艇も体当たりできずに負傷、米軍の捕虜となり終戦を迎えた。
命からがら帰ってきた故郷・長野県松本市でお兄さんを待ち受けていたのは、住民の冷たい視線だった。長野県でただ一人生きて帰ってきた特攻兵を見ようと、至るところから〝見物人〟が訪れた。
当時10歳の百瀬氏も「軍国教育を受けていた私も、兄は返ってこなかったほうがいいと思った」そうだ。
「生きて虜囚の辱めを受けた」お兄さんは、「生きて帰ってきて恥ずかしい。死んだほうがよかった」と自殺を図る。が、死ねなかった。
その後、お兄さんは警察予備隊(のちの自衛隊)に入り、現在も健在だ。
百瀬氏は「沖縄に来るよう何度も兄を誘ったが、本人は首を縦に振らなかった。兄を見ていると、悲惨な戦争はあってはならないとつくづく思う」と語る。
(後略)
金融排除問題がわが国でも浮上する可能性(2013/9/25)
「〝福島原発〟ある技術者の証言」著者・名嘉幸照氏がリスク管理を語る(2014/12/18)
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地主の意向を反映 古民家の緑を残す 月内完売したコスモスイニシア「松陰神社前」
「イニシア世田谷松陰神社前」
7月に分譲を開始し初月で完売したコスモスイニシア「イニシア世田谷松陰神社前」を見学した。戸数は28戸と小規模ながら、地主の「緑の環境を残して」という意向を商品企画に反映させた、苦戦物件が多い世田谷区で出色の出来のマンションだ。
物件は、東急世田谷線松陰神社前駅から徒歩4 分、世田谷区世田谷4丁目に位置する6階建て全28戸。専有面積は54.10~76.00㎡、価格は5,098万~7,898万円、坪単価は315万円。施工は大豊建設。竣工は2017年3月。
第1期1次として23戸を7月8日に、第1期2次として5戸を7月22日にそれぞれ抽選し完売となった。契約者の約70%が区内居住者。4 月下旬にモデルルームをオープンしてから100 件を超える来場があった。
「既存樹をできるだけ残してほしい」という地主の意向を受け、商品企画に反映させたのが最大の特徴。敷地内にはサクラ、クヌギ、カシなど7本の既存樹を残した。
用地は、隣接する地主の古民家が建っていた土地で、設計・監理を担当するJWA建築・都市設計は、同社のマンションを設計したことがあり、また地主の自宅の設計も担当した縁から相対で取得するに至った。
住戸プランでは、住戸内の壁やキッチンカウンターを好みのクロスやタイルでコーディネートする「ホームデコレーションサービスプレミアム」のほか、地域ゆかりのアート、香り、草花をエッセンスとして追加する仕組みを採用。
共用エントランスには、松陰神社前にゆかりのあるアーティストがこの土地にあった古民家と樹をモチーフに作成したフランス画風の絵が飾られている。
同社プレスリリースによると「稀に見る緑量ある空間に清々しい『緑の景観』が臨めること」が高く評価された。
緑道とエントランス
エントランスホール
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「初月完売」のプレスリリースが届いたのは8月7日。そこには「こんなに素敵な空間を持つ物件は他にない」とのお客さんの声が紹介されていた。
何事も疑ってかかるのが記者の基本。自分の目で確かめないと記事にできないと判断して同社にすぐ見学を申し込み、実現した。
プレスリリースは嘘ではなかった。敷地面積は約1,000㎡だが、四囲にびっしり樹木・草花が植えられていた。制約が多い敷地を巧みに利用したランドプランが秀逸だ。
借景がまた素晴らしい。隣接する「欅ハウス」は、記者も取材したことがあるチームネット・甲斐徹郎氏が企画したコーポラティブハウスだ。それと隣家の邸宅内に立っている世田谷区が指定した保存樹のケヤキがまた見事だった。
当然といえば当然だが、この借景を居室から眺められるようにしているプランがなかなかいい。
残せるものは残す。デベロッパーの使命であることを改めて学んだ。
〝じじい、じじい(爺、爺)〟と暑苦しい嫌味な声で鳴くアブラゼミには癪に障ったが、プレスリリースを引き写しただけでは絶対書けない記事になった。取材に同行してくれた同社の広報担当・Aさんが、59年振りに13連勝した西武ファン(記者は59年前も西鉄ファン)であることを聞き、またうれしくなった。
取材を終えたとき、緑道を南から北に涼しい風が抜け、一羽のヒヨドリが巨木で羽を休めていた。
昭和女子大生、家を建てる 3日間で3畳大の平屋建て建築 2×4協会が協力
最後の屋根の組み立てを行う昭和女子大の学生
昭和女子大学の学生が8月2日~4日、地震に強く合理的なツーバイフォー工法による実際の建築作業に挑戦した。生活科学部環境デザイン学科中山榮子教授の「枠組壁工法を用いて自分たちの手で建物を建ててみよう」プロジェクトのキャンパス内の実習で、建築を学ぶ2、3年生14人が参加。床の製作(2日)から壁の製作・立ち上げ(3日)、屋根の製作(4日)まで、フレーマーの指導を受けながら3畳大の平屋建てを完成させた。
女子大学でこのような実習を行うのは初めてで、日本ツーバイフォー建築協会(2×4協会)が建材やフレーマーの手配に協力した。
同大学では、建設業界を目指す女子学生にとって、工法や技法を学びながら、建築現場を体験する貴重な機会となると企画した。中山教授は「一人も怪我なく無事終了した。楽しそうに作業してくれたのがうれしい。楽しくなければ前に進めない。みんな建築士を目指してほしい」と語った。
同協会は、ツーバイフォー工法に関心を持ち、工法に関する理解を深めてもらうことを目的にこの種の取り組みを行っている。
完成した建物
◇ ◆ ◇
最終日の4日、取材した。作業開始は午前9時30分。朝が弱いのか、連日の作業で疲れ切っているのか、はたまた建築現場ではありえない各人各様の姿であるせいか、元気がないように映った。
大丈夫かと不安になったが、作業に入ると不安は一掃された。彼女たちは生気がみなぎっていた。フレーマーの指示に従って数人が同時に釘を打つ「カン、カン、カン」の音が周囲を圧した。指導したフレーマーは「初めてにしてはみんなよくできた。100点満点で60点」と合格点を出した。
午後4時に作業は終了。完成した建物を背景にした記念撮影では笑顔がはじけた。
作業をやり遂げた学生は「手の皮がむけた」「手に豆ができた」「場所によって釘の長さや間隔がきちっと決められているのを改めて知った」「わが家と違い、柱がないので強度が保たれることがよく分かった」などと話した。
そのそばを、カラン、コロンと爽やかな下駄の音をさせながら渋谷のイベントに参加するカラフルな浴衣姿の学生が手を振りながらたくさん通り過ぎて行った。
作業前の準備体操(左)と組み立て方法を教えるフレーマー
釘打ち作業
キャンパス内の「昭和の泉」
「女性のほうがコミュニケーション能力高い」 「じゅうたく小町」参加者の声(2017/5/31)
“女性だからこそ”安心・安全の居住環境づくりを 女性建築士が全国大会(2015/3/2)
大和ハウス工業 企業向け物流セミナーに300名が参加
「Intelligent Logisticsの実現に向けた大和ハウス工業の取り組み」セミナー(同社東京本店大ホールで)
浦川氏
大和ハウス工業は8月3日、物流業務の効率化および有効活用、今後の物流戦略について課題をお持ちの企業向けに「Intelligent Logisticsの実現に向けた大和ハウス工業の取り組み」と題するセミナーを開催。約300名が参加した。
同社取締役常務執行役員 建築事業担当・浦川竜哉氏がIoTを活用したマルチテナント型物流センターDプロジェクト流山を紹介したほか、フレームワークス代表取締役社長・秋葉淳一氏、GROUND代表取締役社長・宮田啓友氏、Hacobu代表取締役・佐々木太郎氏、アッカ・インターナショナル 代表取締役社長・加藤大和氏がそれぞれ物流センターの高度化、物流ロボット活用、物流ソリューションの未来像などについて語った。
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先日、三井不動産が行ったロジスティクス事業に関する記者発表会に大勢のメディア関係者が詰めかけた。今回は企業向けセミナーではあったが、用意された約300席はほぼ満席。関心の高さに驚いた。
浦川氏が紹介したDプロジェクト流山は、Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ全体で約20万坪、総延床面積は約30万坪にのぼる規模。そのうち4階建て延床面積約45,000坪のⅠは来年2月に竣工する。物流タウンの実現を目指す。
三井不動産 ロジスティクス事業拡大28棟、延床240万㎡、投資額4,000億円に(2017/7/20)
積水ハウス マンション購入代金63億円 詐取される 所有権移転登記できず
積水ハウスは8月2日、分譲マンション用地として購入した東京都内の不動産の購入代金を支払ったにもかかわらず、所有権移転登記を受けることができない事態が発生したと発表した。
購入したのは都内の約2,000㎡のマンション用地。購入代金は70億円(支払済:63億円)。売買契約日は平成29年4月24日、決済日は6月1日。所有権移転登記申請が却下されたのは6月9日。
同社によると、契約相手先が所有者から購入後、直ちに当社へ転売する形式で行い、購入代金の決済日をもって所有権を移転する一連の登記申請を行ったところ、所有者側の提出書類に真正でないものが含まれていたことから登記申請が却下され、以降、所有者と連絡が取れない状況に至ったという。
同社は、何らかの犯罪に巻き込まれた可能性が高いと判断し、捜査機関に対して被害の申入れを行った。
捜査上の機密保持のため、これ以上の詳細の開示は差し控えるとしている。
明和地所「クリオ日本橋久松町」 激戦地の東日本橋・馬喰横山エリアで販売好調
「クリオ日本橋久松町」完成予想図
明和地所が分譲中の「クリオ日本橋久松町」を見学した。内廊下方式の1フロア3住戸、全戸角住戸が特徴で、約70㎡代のモデルルームの出来がいい。苦戦物件も多い日本橋エリアで、販売開始から3か月で半数以上が成約済みだ。
物件は、東京メトロ日比谷線人形町駅から徒歩6分、中央区日本橋久松町に位置する13階建て全35戸。専有面積は50.93~70.40㎡、現在分譲中の住戸(3戸)の価格は6,044.3万~7,868.0万円。坪単価は391万円。竣工予定は平成31年1月中旬。施工は新三平建設。
現地は、このところマンションの供給が激増している東日本橋・馬喰横山エリアだが、アドレスは住宅地としても人気が高い「久松町」。
建物は、内廊下方式の1フロア3住戸、全戸角住戸が特徴。4月から分譲を開始しており、これまで半数以上が成約済みで、順調に売れている。
モデルルーム
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日本橋・馬喰横山エリアではここ1~2年、マンション分譲が増加している。坪単価は軒並み400万円を突破。単価・グロス価格が上昇したため苦戦する物件も多い。
これに対して、今回の物件は坪単価391万円。抑制気味に価格を抑えているのと、由緒ある「久松町」アドレスであることが評価されているようだ。都内でもっとも歴史のある久松小学校にも近接している。
70㎡台のモデルルームもデザインに力を入れておりよくできている。セレクトメニューから間取り変更、オーダー対応まで自由に設定できるシステム「conomi」を採用している。
大京グループ 業界初の「使用済小型家電の宅配回収サービス」を開始
大京グループのマンション管理事業を手掛ける大京アステージと穴吹コミュニティは8月1日、マンション居住者向けに業界初の「使用済小型家電の宅配回収サービス」を開始したと発表した。
リサイクル事業を手掛けるリネットジャパングループとオリックスグループのオリックス環境と業務提携して実現したもので、不用なパソコン・小型家電を宅配業者がマンションの各戸玄関まで回収にうかがう。パソコンを含めれば回収費用はゼロになる。
世相の反映か 「4人家族が幸せに暮らす住宅の広さは89㎡」 アットホーム調査
「4人家族が幸せに暮らす住宅の広さは89㎡」-こんなアンケート調査結果を不動産情報サービスのアットホームが7月31日、まとめ発表した。
首都圏で暮らす夫婦二人と子ども二人の4人家族628 名を対象に行ったもので、「4人家族が幸せに暮らす」には、少なくとも89㎡必要との回答があった。もっとも多かったのは「80~100㎡未満」で28.9%、以下、「100~120㎡未満」22.1%、「60~80㎡未満」21.6%だった。「120㎡以上」も全体で13.7%を占めた。間取りは4LDKが40.8%ともっとも多く、3LDKLが次いで33.6%だった。
リビングの広さについては、10畳大~15畳大と答えた人が47.8%。「駅徒歩の限界」平均は18.4分、「通勤時間の限界」平均は57.1分、「年収」平均は882.5万円、「子供との会話時間」平均は68.7分、「夫婦の会話時間」平均は53.8分だった。
「父親がやるべき家事」1位は「ゴミ出し」、「母親がやるべき家事」1位は「料理」、「子供がやるべき家事」1位は「食器を流しに運ぶ」だった。
「必要最小限の設備・仕様」では、トップが「独立したバス・トイレ」の89.3%、以下「エアコン」87.4%、「インターネット回線」79.5%、「追い炊き機能付きバス」70.1%、「2口以上のコンロ」69.3%、「駐車場」68.9%、「モニター付きインタホン」61.3%など。「食洗機」は32.6%、「床暖房」は31.2%、「オートロック」は29.3%だった。
「どんな住まいでも愛さえあれば幸せに暮らせる」と回答したのは33.0%で、現在の住まいが4人家族にとって最低限必要な条件を「満たしている」という人は約8割にのぼった。
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いつも面白いアンケートを行う同社だが、今回は「幸せに暮らせる」というテーマは非常にいいが、そもそも「幸せ」とは何かを問うものでないので、回答は極めて常識的なラインに落ち着いたような気がする。個人的には100㎡が4人家族の理想の住宅の広さだとずっと考えてきた。
「愛があれば」が33%にとどまり、現在の住まいが必要最小限の条件を満たしている人が8割に達したのには驚いた。8割の人は本当に「幸せか」、愛はあるのかないのかも聞いてほしかった。
全体的には、ものすごく保守的で自己肯定的、現状是認型の人が多い世相を反映していると思う。
出勤の行き帰り、いつも「お前、幸せかい」と声を掛けあっていた野良猫の姿が見えなくなって久しい。
東京オリンピック・パラリンピック選手村 「施設・設備の仕様は非公開」なぜ
東京オリンピック・パラリンピックの選手村の施設がどのようなものになるかについて東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会に問い合わせていた件で、次のような回答がメールで届いた。
「選手村の宿泊施設は、東京都が施行する市街地再開発事業において民間事業者が整備する住宅棟を一時借用して活用します。
大会時の選手村用の施設・設備の仕様等の詳細については、セキュリティの観点などからお伝えすることはできません」
回答には「セキュリティの観点など」と〝など〟がついているのが曲者だ。施設の基本性能、プラン、設備仕様が事前に漏れたところでセキュリティ上の問題が発生するとは思えないが、その他のことを〝など〟とくくればすべて情報は非開示することができるということか。
ワールドワイドな施設になるのではないかと考えているので、情報が開示されないのは非常に残念だ。
個人的には、出場選手が自由に壁・クロスなどへサインや落書きができるようにして、それを〝レガシー〟としてそのまま分譲時、あるいは賃貸時に残せば申し込みが殺到する住戸が出てくるのではと思っている。オークションにすれば途方もない値段が付くものも出てくるはずだ。
大会終了後の改修費として大会組織委員会は500億円を見込んでいるとの報道もされた。一戸当たり約880万円になる勘定だ。これも法外。
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記者は、選手村の施設(主に住宅部分)についておおよそ次のような質問をしていた。
1)基本性能はどうなるのか
工法、階高、天井高、サッシ高、廊下幅、採光・遮音性、環境配慮、ユニバーサルデザインなど
2)プランはどうなるのか
間取りなど。玄関、トイレ、浴室はどのようなものか、和室はあるのか、ベランダはどのようなものか
3)設備仕様はどうなるのか
選手村用とその後、スケルトンにして分譲、あるいは賃貸用の設備仕様は異なると思いますが、そのまま転用できるものはないのか。選手村としてはトイレ、浴室などはどのようなものを採用されるのか
東京2020オリ・パラ選手村 敷地売却価格は地価公示の10分の1以下の〝怪〟(2016/8/4)